斉明天皇が朝倉宮にいる最中に鎌足に造らせたと云われる神社が
これで宮野と読むのでしょうか?
宮野神社
所在地 福岡県朝倉町大字宮野字中宮野1248
祭神 大己貴命 天児屋根命 吉祥女
宮野神社は大字宮野の氏神であり、毎年10月25日に祭礼が行われている、
この宮野神社は、藤原氏祖先の墓といわれ、天孫降臨のとき天照大神に従った「天児屋根命」を祀ってある。
斉明天皇6年(660年)、朝鮮半島の百済が唐と新羅の郡に亡ぼされ、日本朝廷に
救いを求めてきたので、天皇は翌7年(661年)百済救援のために筑紫に下られ、朝倉橘広庭宮を大本営とされ救援軍を半島に進められたのである。天皇は遠征軍の戦勝を祈願するため、藤原鎌足に命じて宮野神社を創建されたと伝えられている。
由緒 斉明天皇七年創立。明治五年十一月三日、村社に被定。当社は斉明天皇当所橘広庭の宮に御遷幸のみぎり、玉体守護神として天児屋根命及び大己貴命を勧請し、宮野神社とし、その後天慶年中に秋月対馬守春実吉祥女を合祭し、三座とした由、いにしえの繁栄の時は当村の内字落合という所に神幸神祭執行などが由来に書かれている。
藤原氏というと鹿島神宮の武甕槌神が頭に浮かびます。
そして同族の占部氏が宮司を務めるのが経津主を主祭りとする香取神宮です。
ここではその二神ではなく天児屋根命を祀っています。
古事記によると武甕槌神の別名が“建布都神(タケフツノカミ)”あるいは“豊布都神(トヨフツノカミ)となっていますが藤原氏はその祖を天児屋根命としています。
春日大神とは天児屋根命 武甕槌神 建布都神 比売大神のことをいいます。
すると天児屋根命も武甕槌神の別名では無いかと思ってしまいます。
創建当時から建っていると思われる古木も光を浴びています。
拝殿
神紋は三五の桐かと思うと
本殿の屋根には右三階松です。
右三階松は住吉大社の神輿に描かれている神紋で住吉を表すようです。
この神紋は宮地嶽神社 高良大社下宮社に描かれており、ある説では九州王朝の家紋であるとも云われているようです。
末社は金比羅様です。
この金比羅様も藤原氏と縁が深いようです。
そして正面には幸神
大己貴神社にもあり、どうも大己貴(山幸)とも縁が深い神のようです。