中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれており、この「印」が志賀島で見つかった金印と考えられています。


筑紫がまだ奴国と呼ばれていた頃の記憶がここには存在しています。
 
板付遺跡
板付遺跡は、福岡市博多区板付にある縄文時代晩期から弥生時代後期の遺跡である。国の史跡。 遺跡は竪穴式住居や水田が復元された公園になっていて佐賀県唐津市にある菜畑遺跡に次ぐ水稲耕作跡であり、福岡県粕屋町の江辻遺跡に次ぐ、日本でも最初期の環濠集落だそうです。

 
村への入口

 

村の風景

水田と展示館

展示館には奴国と呼ばれた頃の道具類が

その模型では膨大な規模の遺跡です。

 
 
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