鎮西大社 諏訪神社 | 事代主のブログ

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神社の伝承と遺跡をめぐり、真実の古代史を編集するのが目的です。

長崎県に長野県の諏訪大社と同じ名前の神社が有ります。

鎮西大社 諏訪神社
長崎市上西山町18番15号

        

諏訪神社
建御名方神
八坂刀売神
森崎神社
伊邪那岐神
伊邪那美神
住吉神社
住吉三神(表筒之男神、中筒之男神、底筒之男神)

        

由緒
長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社は、焼かれたり壊されて無くなっていたのを、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。
さらに、慶安元年(1648)には徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。
安政4年(1857)不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の思召しにより、明治2年(1869)に約十年の歳月をかけて以前に勝る社殿が再建され、さらに、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念して、二度の造営を行い現在の社殿が完成されました。
当神社の大祭(長崎くんち 10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

この神社は歴史自体は不明ですが、長崎独特の雰囲気が有ります。

いろいろないわれが有りますので一部のみご紹介します。

桜門の両脇に控えているのは

     
        

黒い方が櫛磐窓命 赤い方が豊磐窓命というそうです。

『古事記』天孫降臨段
ニニギの従者として「天石門別神」の名が見え、同神について「またの名を櫛石窓神・豊石窓神という」とあるほか「御門の神である」という。
『古語拾遺』
天照大神が岩戸から新殿に遷座したのち「豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させた」とあり、「両神は天太玉命の子である」という。
WIKI

桜門をくぐるとすぐ拝殿です。

        

わりかし近代的な拝殿です。

神社の配置図があったので掲載します。


     


いくつかご紹介します。

こま犬の井戸

        

蛭子社
        

厄難避け蛙岩

        

まよひ子の志らせ石

        


参道には幕末のヒーロー達の足跡が

         

この神社の祭神の共通点も、やはり阿蘇氏のような気がします。

長崎くんちは、ここが拠点になるようです。