「記紀」には1人の人物を別の時代に書くという手法が度々見られる。
赤留比売命 聞き慣れない方もいらっしゃると思います。
赤留比売命とは
昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、天之日矛と出会った。天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしても天之日矛は許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。天之日矛がその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。
天之日矛は娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶった天之日矛が妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津に逃げてきた。その娘は、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神であるという。「古事記」より
この人物もその1人で古代史を見ていくと、国家の中心に立った神と、国家の外縁に残された神がいる。
赤留比売命 は、明らかに後者に属する。
だがそれは、格が低いからではない。
むしろ逆である。
国家に組み込まれなかったほど、古い文明の層に属していた可能性がある。
王妃では説明できない神格 赤留比売命は、一般には天日鉾 の妻として語られる。
しかし、この関係だけでは説明できない特徴がある。
彼女は独立して移動し、独立して祀られ、独立した神格を持つ。
単なる王妃なら、夫の神話に吸収される。
しかし赤留比売命は吸収されない。
これは、王統外の女性ではなく、王家層そのものの女性であった可能性を示している。
なぜ豊前に伝承が残るのか赤留比売命の伝承は、主に豊前に集中する。
これは偶然とは考えにくい。
豊前は古代において、半島南部 北九州 瀬戸内 畿内を結ぶ接続点だった。
つまり、政治中心ではない しかし文明の入口という性格を持つ。
もし赤留比売命が国家王統なら、大和に入る。
しかし彼女は、文明の入口に残る。
姫島と難波が示すもの 赤留比売命は、半島→豊前→姫島→難波という動きを持つ。
このルートは、王都移動ではない。
文明ネットワークの移動である。
難波は外交と交易の窓口であり、国家文明が外と接続する場所だった。
つまり彼女は、国家を作る王ではなく、国家を成立させる文明側に属する。
3世紀という時間層この伝承を置くなら、最も自然なのは3世紀である。
4世紀になると、神功皇后 応神天皇といった国家王統神話が前面に出る。
つまり赤留比売命は、国家成立以前 海上文明圏が主役だった時代の記憶と考える方が自然になる。
同文化圏としての倭・新羅・伽耶
この時代、倭 新羅 伽耶は、現代的な意味で分断された国家ではなく、海上文明圏として強く結びついていた可能性が高い。
もしそうなら、赤留比売命は、外国王家の女性ではない。
同文明圏王家女性の移動記憶となる。
素戔嗚以前の文明層
素戔嗚尊 を技術導入王と見るなら、赤留比売命はその前段階に置かれる。
文明圏ネットワーク→技術革命(鉄・武・生産)→国家成立→文明統合(大己貴命)
この流れの最初にいるのが赤留比売命である。
王にならなかった王家 赤留比売命は王ではない。
しかし、王家に属し、文明を持ち、ネットワークを維持し、国家成立の前提を支えた存在である可能性がある。
彼女は国家神話の中心には入らない。
しかし、国家が成立する前から存在していた。
それは、国家の外に残った王家の記憶。
それが赤留比売命なのかもしれない。
香春岳はかつて阿加流の神岳といい、崇神天皇の御代、新羅の神が渡来し、鮎の泳ぐ清浄な川原を気に入り住むに至ったのが香春大神となったとある。
もし香春大神伝承が同系統の記憶を残しているなら、香原神社に伝わる辛国息長大姫太目命という名は、赤留比売命の別名、あるいは同系統神名の可能性も考えられる。
ちなみに息長姓は天日鉾の家系神功皇后(息長帯足比売)の祖先である可能性が高い。






