次に彼自身も自身の影の中に沈み込む。
 ズブズブと底無し沼にでも足を踏み入れたかのように沈んでいく。フローリングに水の波紋を残し、跡形も無く消え去った。
 彼女も流石にもう驚かなかった。


「最後の言葉はどういう意味なんですか?」


 彼女は『未観測地帯(ブラックボックス)』がもういなくなってしまったため、砂喰さんに質問を投げ掛ける。


「うーん、『忌士』になれって事じゃないかな」


「忌士に〝なれ〟?」


「うん、だって彼――忌士じゃないし……あら」


 彼女は周りを見渡すと『未観測地帯(ブラックボックス)』だけでなく、もう一人いなくなってしまっている事に気が付いた。


 僕は外から窓を覗きこみ、それだけ確認すると自宅へ向けて歩を進めた。


 彼女がこの後どう決断するか知らないが、忌士になろうがならまいが僕にはもう関係の無い事だった。


 僕は自身のポケットの中から、銀色の懐中時計を取り出した。


 銀色の懐中時計であり、『罪宝』でもあるこれの忌名(いみな)は『潜入観(フェイクバイアス)』。


 簡単に講釈を垂れるならば、一時的に人の意識に介入するものだ。そろそろ効いてくる頃であろう。


 今までの古時計屋での僕と砂喰さんとのやり取りを全て、彼女とであった事としてすり替えた。


 だから彼女をわざわざ砂喰さんに紹介し、彼女の忌能力の制御までは付き合った。
 僕も一応、良心は持っているのだ。両親はいないけど。


 欲しかった情報は砂喰さんから引き出せはしなかったが、代々人殺しを生業としている四忌家(しきけ)の一角で、本家である『椿瀬(つばきせ)』とその分家『桜来(さくらい)』の情報を得る事が出来た。


「待って!」


 僕は立ち止まり、振り返った。
 彼女がいた。
 古時計屋から休まずに走ってきたのか、だいぶ呼吸が乱れている。


「一体、息を切らしてどうしたんだい。縁さん」


「貴方のおかげで――〝思い出したの〟」


「あぁ、そうか――それは非常に残念だよ」


 膝に吐いていた手を離し、彼女は容赦無く『持ち手の紅い裁ち鋏』で断ち切った。


 全てを。


 僕を非難するかのように。
 僕から避難するかのように。


 全てを――断ち切った。