一つ目は外猫の死。
会社の裏の敷地は駐車場になっていて、普段車をそこに停め、建物に行く。
その日は伊勢崎にお手伝いに行くことになっていた。いつもなら、1時間で済むのだが、通院のヘルプがありいつもより3時間かかってしまった。
大きなカゴを抱え、いつもどおりにその道を通って行った。
そこに瀕死の猫がいたことに全く気付かず
。
戻ってから30分程、事務所の子が帰ってきて「あの道に猫、いませんでしたか?1時ごろ横たわっていてその時はまだ生きていたんですけど。」
「保健所に電話したら愛護センターに電話してって言われて、愛護センターはそんな死にそうなの言われてもねどうしようもないって言われました」
そんな言葉も最後まで聞かず、直ぐにその道へ。猫がいたのか?いくらカゴを両手に抱えていたとはいえ降りるときに見えなかったのか??そもそも、1時に瀕死でいまもう、4時!3時間も放置されていたのか?
道に横たわっていたというが姿はなく「横の水路に落ちちゃったのかな?」といたであろう場所へ行くと白い後ろ足が見えた。
頭を水路の方に向けなんとか落ちずにいた。黒白のハチワレ、まだ半年ほどだろうか。
子猫だった。
すぐに助けようと手を伸ばすともう、体は冷たかった。
間に合わなかった。
でも、まだ体は柔らかく力が抜けきってダランとしている。
隣に人がいるのも忘れ、思わず
「ごめんね、どうしておかあさん、きづいてやれなかったんだろう!ごめん!ほんとにごめん!」と抱きしめていた。
枯れ草をとってやり、抱きしめる。目が半分開いていたが頭が下がっていたために充血していたのだと思う。
顔を撫でて、目を閉じさせた。
体もガリガリでもなく、目やにが少しあったくらいで、外傷もない、泡を吹いているでもない、どうして死んでしまったのかわからないくらいきれいだった。
まだ大人にもなっていないのにどうして。
助けられなかった、どうして!
その日に伊勢崎にいかなければ
仕事が長引かなければ
カゴを持っていなければ
30分早ければまだ助けられたかもしれなかった
こなつの時はすべてが逆だと思った。
こなつは、たくさんのいい偶然が重なり助かった。
だけど、このこは、すべてが悪い偶然が重なってしまった。
そういう運命だったのか?それにしたってひどすぎる、こんな、最期は。
敷地の端の方に2人が穴を掘ってくれて、その子を丸くしてそっと置いた。
まるで、ただ寝ているかのよう。
「今度ねこに生まれてくる時はおうちの子に生まれておいで」と。
会社の子2人も大きな石を退けて、足の方からそっと、土をかけてくれた。
目印に石を置き、三人で手を合わせた。
実はこの敷地には他にもねこが埋葬されている。
去年自宅付近で、まだ3ヶ月くらいの黒い子猫が車に轢かれた。その時はまだ温かかった。
その子もこっそり、ここに埋めた。
ここなら毎日出勤したときに思い出すし、毎日「くろちび、おはよう!」とあいさつしていた。
くろちび、白黒のハチワレちびちゃんが行くから迷わないように迎えにきてやってね、一緒にあそんでやってね。
そう呟いてまた、手を合わせた。
いろいろな偶然が重なってこなつのように助かるコ、このちびちゃんのように助からなかったコ。
こんな風に命が消えてしまうなんて、もしこのコが家猫だったら。
完全室内飼いだったら。
ついこの間までねこは、サカリがついていたことを思い出す。
また春にはこんな死と隣り合わせの命が生まれてくるのか、とやりきれない気持ちになった。
翌日、ちびちゃんのお墓にごはんを備えた。