日大アメフト部の問題からわかること | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

大学入試や英語関連に関しても気になって目が離せない中,世間の目が政治に向いていない間にこっそりと急速にいろいろな法案が通ってしまって,あとでどうにもならない状況になる前にどうにかしないとならないと思いつつ,今回はあえて,どうしても引っかかっていることについて掘り下げてみる。

 

日大アメフトの故意の反則事件は,関西学院も日大も,以前の僕たちの学校は大変お世話になっているところであるし,私が担当したクラスの優秀なスポーツマンもいたことから,どうしても人ごとだと思えなくて非常に憤りを感じている。

 

最初の一報からは,指導者と学生の間の言葉のやりとりの取り違いから生じたものなのかと思っていたのだが,悪質な反則タックルで関学大のクオーターバック(QB)にけがを負わせた,日大アメフト部の宮川泰介選手の22日の謝罪会見で私の意見は変わった。

実名と顔を出し,しっかりとした口調で語る彼の言葉一つ一つは,加害者でありながら彼も被害者であったという印象を与えることとなった。私が普段接している高校生とさして年齢も変わらなく,アメフト一筋で指導者を信じて身心ともに鍛えられてきたであろう彼のことを,その指導者が保身のために彼を見捨てる状況を見過ごすわけにはいかない。世間の大方の人々は私のように感じたと思う。

 

内田正人前監督と井上コーチの言動によって,スポーツ界の危うさと脆さが表に出ることとなった。これはけっして日大だけの問題ではなく,他のスポーツ,もしくは指導者がいる,あらゆる組織や団体に対しても起こりうることで、様々な教訓がある。

 

日大は,そもそも根幹部分が手段を選ばない結果優先主義の考え方があって,今回の事件でたまたまその目も当てたくないような汚れた部分が世間に出てきただけで,事件の前のとうの昔から,その原因があったのだと私は考える。それは,事件後の当事者だけでなく,日大広報の発表内容の酷さからも確信が持てる。当初から,私自身は日大広報の発表の度に違和感と苛立ちを感じていた。実際に記者会見が開かれてからは,さもありなんという感覚で,流れの予想がこれほど的中する件はなかった。

日大の異常な経営体質が暴かれるに至ったのも,立場が上の者が全部利益するように下をコントロールして利用し,益があれば自身のものとし,害があれば責任は取らずマインドコントロールされた実行犯に押しつけるという,極端かもしれないが,地下鉄サリン事件のオウム真理教の麻原彰晃となんら変わりの無い構造があったのだと思う。

 

大学の理事に,大学の1スポーツ部の監督がなれるのも非常に奇妙な話で,大学経営には専門的な知識が無くとも,アメフトが強くなり大学名を日本中に轟かせることのできる者で,他には誰も文句が言えないような立場だけある人気者が前面に立てることが可能であったことが容易に推測できる。誰も賢く全体を見る人間がいないが為に,全てを台無しにしたお手本だ。

 

純粋な若者が素直に信じてしまったがために,結局は裏切られて自身の人生を台無しにしてしまうことがありうるということ。

私はスポーツの世界の精神論とかも好きだし,実際,自身もスポーツで自身の限界に挑戦してきて社会に出てからも役に立ってきたから,

スポーツの世界には,人間を強く前向きに成長させてくれる,純粋で素晴らしい部分があることは否定しないのだけれど,全て盲目に従うのはいけないと思ってる。

一度自身の頭でよく善悪を考えて,迷ったときは自身の判断が正しいかどうかを別の人間に相談するのも手だ。

無駄な自己犠牲は,世間にも害にしかならない。それを教えてくれるのは,自身が信じ切っている人間を批判する人かもしれない。

そういうことを,私は社会人になった僕たちにも伝える。