東大の英語外部試験導入の件で,
わたくしのブログか急上昇したのかしらんっと喜んでいたら,
読まれた記事を確認してみると,言語技術の話であった。
この記事は未だにダントツで私のブログ記事の中では一番である。
昨日の数百のこの記事のアクセス数は,
15日付で,ウェブ版の日経デュアルに三森ゆりかさんの言語技術のお話が載っていたため,三森さんを検索して,私のブログに行き着いたためだと思われる。
世間に需要があると思われるこの言語技術。
先日,とある大学の先生が,言語技術の専門ではないのに,
現場の教員向けに免許更新のためなのだろうか,
講座を開設して一般の受講者を集っているのを見かけ,
とても気分が悪くなりました。
言語学をしているからといって,言語技術を教えられるかというと,それは疑問で,
客引きのために三森さん人気にあやかっているのだとしたら,良くないことで,
しっかりご自身の研究を深め,その研究で人々を惹きつけていただきたい。
他人から盗んだものを転用することのないよう,ルールを守るべきだと言いたい。
すくなくとも,私は騙されませんっと直接言えないので,ここで伝える。
どうして,この言語技術が流行るのかというと,
日本人の言語環境があまり好ましくないからだと私は思っている。
しかし,結局,言語の積み上げっていうのはこういう風にすれば良いという,きまった方法などはっきり言ってないのではないだろうか。
その証拠に,考案されてからこれだけ時が経過しても言語技術は広まっていないという事実があるから。
言葉と数学的な考えは別なので皆悩んでいるし,なかなか答えが出ない。
ヴィゴツキーが述べたように,水H2 Oは水素と酸素から成り立っているけれども,水は燃えないのにたいして水素も酸素も燃える。
これを説明するのと同じくらい化学変化だらけだし,説明が出来ないものだとするのが,言葉というものを説明するのに一番近いような気がする。
言葉には,公式があって型にはめたらどうにかなるものでもないし,語彙数だけあれば技術が身につくとも言えない。
現に大人の世界の会社の研修会に先生が呼ばれていくことがあるわけだから。大人すら身につけられていないし,意識すらしていない状況でどうにかなるものなのだろうかと考えてしまう。
デュアルの記事の先生の説明があまりよく分からなかったのですが,
言語技術は研修をしたらどうにかなるものなのでしょうか。
私がよく国語の先生から聞くことは,人の国語力は小学校4年生ぐらいでもう決まっているっということ。
鍛えたらどうにかなるものなんでしょうか,実際。