この4年の間,
アクセスランキング上位に必ず入っているのが,
「言語技術の有効性」三森ゆりかさんだ。
2013年の12月師走近くに書かれたこの記事の人気は,ダントツで一番。
それで,この記事の読者層を分析してみた。
1.私に関心のある人
*私の実際の生徒ではない人達,生徒であれば別の記事に反応するから
2.高校の教育現場に関心のある人
3.幅をきかせている英語に,なんらかの対処したい人
4.母語である日本語の指導に関して関心のある人
5.三森ゆりかさんに興味関心のある人
6.言語技術で一儲けしたい人
7.言語技術って何かと思い検索した人
上記の記事はこの三年半の間,1万アクセスはあった。
なので,多分時代を問わず,世間の誰かしらに需要があるものと思われる。
言葉の論理性については,
高校生が読むものとして一般的なのが,
野矢茂樹先生の本なのだけど,(追記:国語科の先生にお聞きしたら,中山元さんということでした)
この手の言語系のものは今一広まらないという現象が見られて,
それは何を示唆しているのかと考えて見れば,
世間一般の人々にとって,
外国語以外の言葉,
つまり母語は空気のようなもので,
あえてお金をかけて身につけるようなものでないという意識の表れと,
大方の人間は,実際あまり言葉で悩んでないということだ。
言葉自体に関心が集まらない,未発達のままということは,
物事の核心的な部分の本質を突いた同一視がないということで,
またそれは,国民の成熟さがないままに国が成熟し,
私利私欲のない善意の誰かに身をゆだねれば,
誰もがなんとか生き延びれてきたという事実があるからなのだと思う。
これからの時代が,どの方向に行くにせよ,今までのようにはいかない。
今までのようにしていたら,馬鹿を見るのは己自身である。
悪意のある,もしくは思慮の欠いた不確かな人間の不確かな思想の,不確かな言葉を,
善意の,確かな人間の確かな思想の,確かな言葉を,
どのように見極めていくかの方が,実際我々の生死に関わる問題で,
そのようなHow to本が一世を風靡する時代はもしかしたらもう来ないのかもしれないということだけは,
なんとなく分かっている。
いずれにしてもそのセンサーは簡単に説明の付かないものだから,
自身の中で,正しいことを言ってそうな感じがする人物の言葉を採用しがちである。
というのは,
私はそれでどうにか生き延びているからだ。