昨年の10月29日(土曜日)に明海大学で行われた4人組のシンポに参加したこととを備忘録として書き留めておきたいのだが,
同僚に資料とか書籍を貸したまま返ってこないので,
ざっくりと思い出したまま記しておく。
手元にメモも何も無い状態で書くので,
私にとって本当に印象に残ったことだけになると思うが,
それでも,
とりあえず頑張ってみる。
資料その他は興味のある同僚には渡して,回してますが,
あまり感想がないので,そういうことなのかなぁーと思ってますが,
3ヶ月経っても返してもらえていないのはどういうことなのか考えてみたところ,
①多忙すぎていつか目を通そうと思っていたが,そうこうしているうちに存在自体を忘れた。
②興味があるふりをして借りたのだが,日常の業務に関係ないと考え,むしろ害となるので所有者に聞かずに捨てた。
と考えられるので,
私としては3月までには,「グローバル人材育成」の英語教育を問う (ひつじ英語教育ブックレット) をどうしましたか?って聞こうと思う。
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言語運用能力はひとそれぞれで異なっていて,それを表で比較しわかりやすく述べられていたのが印象的だった登壇者の先生を思いだす。
ドイツ語や中国語,スペイン語それぞれで議論させたときに,
日本語だと,あまり発言できなかった学生が,英語になるととたんに生き生きと語り出し,英語の苦手な学生は議論に参加できなく,勝手に一人で流ちょうにべらべら話す様子(帰国子女?英語が母語の外国籍の学生?)のことを述べられていた。
第二言語としての英語の授業ならともかく,
それを他の分野の正規の授業で行うことの危険を示唆していた。
日本の最高学府たる大学の学びの場では,英語が堪能な人は,日本語でも流ちょうに議論できることが前提のはずなのに,大変おかしな状況に学術界が陥っていることが印象的だった。大学に,日本の言語政策のことを真剣に考えて言語に関して憂いている,全うに意見できる指導者の方々は,4名の先生方以外にいるのかしらと,
大丈夫なのかしらと心配になったのを思い出す。
日本に居ながら,日本人なのに授業を英語で進めることで,
相当な弊害があることに,早くから気づいて行動している先生方の存在は本当に大きいし,大事だと改めて思った。
グローバル化が進んでいるので英語が大事だと生徒に言い聞かせて,
語学に向いていない人達にも強いて勉強をさせ,
何年も苦行を強いて,結局ネイティブの英語話者には勝てるわけがないのだから,
言葉を奪って,家畜を飼い慣らし物を言わせず,為政者がコントロールしやすいようにしているのだということにあまりにも多くの人達が気づかす無関心なのに,
本当に辟易する。
優秀で英語の得意な学生は,高度な教育を受けられるなら,英語で内容のレベルが低くなるような大学よりも,ハーバード,オックスフォート,スタンフォードにいくに決まっている。
東大や京大が英語で専門授業受けられますよ!っていうレベルより数段上の内容が学べるなら,海外に行くと思う。
よく考えなくても,日本人に大事なのは英語でなく日本語なのだけど,
どうしてか英語になると,皆平静を失い,日夜朝暮にわたり競い,儲け(田舎のテレビにしょっちゅう出てくるスピードラーニングのCMをどうにかして欲しい)。
ちまたには変な日本語を話すタレントが今出てきているけど,
そういう人が大勢になってしまう狂気の世の中を想像できる人はあまり居ないんだよね。
4人の先生方以外,いないのかもしれない。
日々感じることだらけなのに,多忙な日々で回想すらまともに出来ない,
まともに書けない,私の英語教育ブックレットをまじ返して欲しい。っと思っている日々。