ここ何年もの間,蟹工船に乗っている私なのですが,
書きたいこともずいぶんと書けないままで,ブログの更新も滞っております。
3月2日の卒業式を終え,
3月12日の国公立の後期試験も終わり,
やっと少しずつ時間が出来はじめました。
しかし,それも3月中の束の間です。
昨年も新学年が始まってずっと忙しかったのですが,
特に昨年の10月以降センター対策の問題集80分ものを
授業1限で解答,解説をする授業をしてからというもの忙しさが加速し,
パック模試などで年末年始はほぼなし。
センターを終えると,今度は二次対策で,過去の入試問題を50題,英作文300題ほどをこなし,個人指導そして,後期の対策という怒濤の日々が過ぎ,
進学校の英語科の先生方の悲鳴を上げたいくらいの教科指導の多忙さを改めて実感しているところです。
これだけ多忙な割に,偏差値が下がれば真っ先に叩かれ,
無理解な世間の人々にはちっとも英語が話せるようにならないと批判され,
英語の教員の宿命たるや,相当過酷です。
教職希望の人には,生半可な気持ちで教員を目指してはならないとだけお伝えしたい。特に英語はそうです。
本音で語ろうとするほど,現場に居られなくなるという悪循環。私のブログを以前からご存じの人はおわかりと思いますが,一部の元現場の教員で,大学に上手く籍をうつし,現場の教員達を仕切っていると勘違いして負担を強いる人達は本当の大馬鹿で,私が言う良心的な人達とは別です。英語教師の中にも知的な成熟度が違う人々もいます。それは年齢とは全く関係ありません。
後期の試験が終わって,
まさにホワイトデーの14日に,千葉で高校教育現場で頑張っていた,倫太郎先生が定年前にご退職を決断されたことを先生のブログで知り,ショックを受けております。
とにかく,
倫太郎 先生,頼りにし励まされていたのに残念です。これからもブログを閉鎖せず発信して頂きたい。
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さて,世間で日本の反知性主義について話題になっているようなので,
反知性主義の正体は何かということを述べてみたいと思います。
その前に「知性」とは何かということに,
私たちはあまりにも無頓着で無知であるように思います。
知性とは一体何なにかをまず知らなければ,その反対のことがよく分からないでしょう。
ち‐せい【知性】
1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。「―にあふれる話」「―豊かな人物」
2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。
と書いてある辞書や,
ちせい【知性】
1 物事を考え,理解し,判断する能力。人間の知的能力。「豊かな-の持ち 主」 「現代を代表する-」
2 感覚によって得られた素材を整理・統一して,新しい認識を形成する精神のはたらき
物事を考えられなくし,理解できないようにさせ,判断できないようにすること。または,感覚的に鈍感にさせ,整理・統合できなくさせ,新しい認識を形成できなくする精神的な停滞。
以上が反知性主義の説明です。
物事を考える上で大切なのは,
「主体性」です。
内田先生のまだご著書は読んではいないけれども,
以前の先生のお考えからすると,
きっと,反知性的な日本人の営みは,自らがそうなっているのではなく,そのようになるように日本社会が構造的になっているとおっしゃっているのでしょう。
言葉を奪われること。表現の仕方を奪うこと。簡単な言い回ししかできないようにすることで,人々を分断し底辺へ留めさせ,
第一級の消費者としてどんどん物を買わせ,経済を安定させたいという意図がそこにはあって,
実は庶民が喜んで奴隷になるように仕向けられているにも関わらず,当の庶民がそれに気付かず,彼らが消費行動に夢中になっている間に,利権をもった人達にとっては,お金もかけず文句も言われず,とても都合が良いからでしょう。
構造的に反対の事を述べる人間を排除して,それを日本独特の空気を読む文化だと無意識的にしていることが分かっているから,あえて反知性主義というお言葉を使われたのでしょう。
経験上,多忙さは,思考力を鈍らせ,感覚を麻痺させます。
蟹工船に乗った乗組員達が,自分たちが正しいと思っていることを口に出せないように,とにかく労働させ時間と体力を奪います。
船の中には,
身体の不調を訴え,倒れる者も続出するし,仲間割れし,分断され,私利私欲な乗組員は,中でも経験の浅い人や立場が弱い人を利用して,ムチを持った管理者になろうと躍起になる人も出てくるでしょう。
表現力を奪い,言葉をコントロールし封じることで,主体的に思考する力を奪われたあげく,残るものは何でしょうか。
ある者は上手く言い逃れて管理側にまわり,ある者は去り,別の者は身体や精神を害してしまうようなシナリオは,個人的には実際見飽きたんです。
私が観たいのは,ハッピーエンドで,たまにコメディータッチで楽しいものなんだけれど,現実にそういうものってあまりなくて,
そういう説明しがたいものを説明し続けることの観察力と表現力と強さが私には欲しいです。
サバイバルボードの上で競う駒でそのまま墓場までなんていうのは酷だし,
絶対に避けたいこと。