「知性は言語化し,言葉は知性化する」
人間は他の動物と違い,社会的・歴史的に形成されてきた道具を媒介とすることで自然と間接的な関係を持つ。
とりわけ,人間特有の高次元精神機能は,心理的道具としての記号である「言語」によって媒介されていることに大きな特徴がある。
高次元精神機能は発達過程において二つの水準で現れる。最初は人々の間で精神間機能として(社会的水準),ついで個人内で精神内機能として(心理的水準)現れるのである。
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ヴィゴツキー(1896-1934)
この方のロシア語の翻訳書も結構難しく,よーく考えながら読まないと理解しにくい部分もあるのだが,
この人は,旧ロシアの心理学者で,38歳という若さでこの世を去るまでに,人の発達に関して多くの実験と理論研究を行った。
ロシアのユダヤ人で,ベラルーシ・ゴメリ出身だった。(ベラルーシはチェルノブイリの爆発で被爆被害者が多数出た地域。以前誰かに美男美女が多いと聞いた場所。)
ヴィゴツキーは,子供の発達過程においては
①自分だけで出来ること
②大人の援助があってできること
③自分でも援助があってもできないこと
があるとし,
特に②の大人の援助があってできることを重視した教育をしなさいと説いた。
子供は,大人のやり取りを自分の中に内化する。
ヴィゴツキーのお気に入りの例えがある。
それは物事の全体像を説明する際,それを構成する要素に分けて説明をした場合,その要素の性質を調べて述べただけでは全体像が把握できないことがある。
それは例えば,
水がなぜ火を消すのがを説明するのに,
水を酸素と水素に分解し,
酸素は燃焼を維持し,水素は自らが燃える性質を持つことを知って,
これらのことからは決して全体に固有の性質を説明できない事が分かる。全部燃えるとしか言えないからである。何一つ燃焼を止める性質のものはないからである。
これとまったく同じように,言語的思考を全体に固有の性質を説明するために,思考と言葉のそれぞれの個々の要素に分解する心理学者がいるとしたら,全体の固有な性質を説明することは出来ない。
全体に存在するそれぞれの要素を無駄に探究することになり,分析の過程で,蒸発してしまい,気化してしまい,それぞれの要素の機械的な相互作用を探究することにしかならない。
ヴィゴツキーは,思考と言語の関係について以下のように述べている。
この内容は私にとっては目から鱗で,
今まで普段何気なく送ってきた日常が,走馬灯のように思い起こされた。
「そうだ,そうだ」と頷ける説明である。きっとある程度の知能を有する人々は同じ感覚に違いない。
思考と言葉を発生的に見る際,私たちが目の前につきつけられる基本的な事実は,これらの過程の間の関係が,発達の全期間,一定の不変の大きさのものではなく,頻繁に変化するものであるということである。
思考と言葉との間の関係は,発達の過程で量・質ともに変化する。
これらの発達曲線は,何度も一致したり,離れたりし,ある時は平坦になり,またあるときには平行に進み,さらにある部分では合流し,後に再び分かれていく。(思考と言語)
1.思考および言葉のそれぞれの発生においても,私たちはこれらの過程には別々の根源があることが分かる。
2.思考の発達に「前言語的段階」があるのと同様に,子供の言葉の発達にも明確に「前知能的段階」があることが分かる。
3.一定の時期までは,思考と言葉は,相互に独立した異なる発達路線に沿って進む。
4.一定の時点で2つの路線は交差し,それ以降は思考は言語的となり,ことばは知能的になる。
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子供は,「すべてのモノが名前をもっている」ことを発見するのである。
言葉が知能的になり,思考が言語的になる。
私(ヴィゴツキー)の発達観の特徴は,心理機能間の合流・交差があって,機能同士が結合したり,結合していた機能間の結合の仕方が変わったりすることが発達だということである。そして,その結合から新たな何かが創造・創出されるというものだ。
言語との結合を中心に人は発達していく。
この合流・交差・結合は人生でただ一度だけ行われるものではなくて,繰り返し繰り返し(大人になっても)何度も行われるということだ。
こうした繰り返しの合流・交差・結合という過程を踏むことで,言語はより言語らしく,私たちの・私たちがよく知っていて馴染みのある言語となってくるし,
結合された他の心理機能は徐々に言語的なものとなり,私たちがよく知っている,私たち大人の心理機能となってくる。
こうした心理機能を,高次元精神機能と呼ぶ。
言葉は,情緒的・コミュニケーション的なものとして出現し,知的機能は,動物にも存在する実際的知能として存在する。
その別々のルーツをもつ二つが,合流・交差し,結合する。結合の結果,
知性は言語化し,言葉は知性化する。
それはたった一度のことではない,その過程は何度も何度も繰り返し起こる。
言葉の意味とは,思考が凝縮・結晶化したものが,音声たる言葉と結合したもの。
言葉の意味の変化は一生続く。
*言語によって人は何を得たか?
知性化した言語とともに人間は未来を語る。その未来に思いを凝らすこと,それは言語の計画化機能となった。
言葉のない動物に未来はあるか?
彼らには未来に思いを致すすべがない,彼らは現実に張り付いて生きているのだ。(動物の思う未来はあるにしてもせいぜい時間単位ではないだろうか)
計画する言葉(未来へ向けた言葉)は,行為の前に位置するようになる。これが人間特有の高次な機能であり,人間を様々な制約や奴隷の立場から解放するものである。
私(ヴィゴツキー)は,人間の自由とは,行為がこうした構造を有することにこそあると思っている。人間は行為を計画することができ,それにしたがってわが身をコントロールすることができるのだ。
言葉が(比較的安定した)意味を獲得するのは,こうした種々の機能との合流・交差・結合を繰り返し経ることによってであり,10数年に及ぶ長い歴史が必要とされる。(すごく実感 byわたし)そして,10数年を経た後も大人になっても終わることなく続く。
人間にとって記号・言語の有している意義は重大で,人間の根本的なあり方と係っていると考えている。
(わたし)
ヴィゴツキーはやはり期待を裏切らない。
私にとっては是非とも拝借したい言葉ばかり。もちろんそれは,私自身の言葉として。