情報収集は「自分が知っていること」を実定的に積み上げてゆく仕事である。情報評価とは「自分は何を見落とすように構造化されているか」という、「情報化」プロセスそのものが内在させている不調(平たく言えば「自分のバカさ加減」)についての考察のことである。街場の至言(内田樹)
福島第一の原発事故の影響で,甲状腺がんになる子供が85倍から175倍になると定説されている。
人は自分が聞きたいこと,見たいこと,信じたいものだけを扱いがちである。
放射能汚染が酷く,東北地方だけでなく関東近県までその被害が及んでいることは報じられているけれども,それがどの程度人体に害を及ぼしているかは今のところはっきりとしていない。確実に人体を蝕んでいるにもかかわらず,本人達にはその危険が知らされていない。
もしかすると,関東から多く移住してきているこちらの地域も同じような危険にさらされているかもしれない。それは,専門家でない限り,ここに住む人々の体感でしか判断できない。
何千万人もの人々が普通の日常生活を送る上で,さして不便もなく,事故以前の風景そのままで暮らせる町は,真実の情報を得る方が邪魔になることすらありうる。その中のほんの数人は,きっとその危険が分かっていても何もできない状況なのではないだろうか。
そのような人々の心理を麻痺させてしまう行動を,「赤信号みんなで渡れば怖くない」,と端的に述べたビートたけしは天才だと改めて思う。
最近の内田先生のブログで,社会的弱者が構造的に不利に置かれるような政治的決断・政策に,当事者である社会的弱者たちが大賛同していることを非常に嘆いておられるが,簡単に利用されてしまう無知な日本人の多いことが分かる。自分の身に何が起こっているか理解しないまるで生きながらに蛆虫に食われている赤子のようだ。
*蛆虫に蝕まれる赤ちゃん動画
赤子のような社会的弱者には構造的な立ち位置は理解できない。自分たちの目に見えるものだけを見て,自分はその中には含まないものであると信じ込まされている。
社会的弱者は,自分たちが他の日本国民とさして変わらない平均的で普通の生活を送る人々だと思わされているから,構造的に自分たちがどの部分に属しているかなど意識させられていない。
これは決して原発の問題だけでなく,教育現場もそうである。
今までも,自分たちを窮地に貶めるような人間たちを崇め湛え,そしてのさばらせてきてしまっている。
誰が子供たちと現場の先生たちの味方なのかをしっかりと見極めて,行動していかねばならない。自らが餌食に名乗りを上げるようなおバカな選択を強いられるなら,断固拒否すべきである。
おかしい思想でものを語る人間は対立した意見に非論理的な回答しかしない。
時に,平然と幼稚でおかしい自分たちのことを褒め湛える言動をして大衆を不快にさせるはず。
「俺様は英語教育をリードするスペシャリストだ!」と。
この人たちの言動をまともにとって取材し雑誌に載せたり,発言権を与える研究会や,教育政策の方々はご自身たちがいかに危険な人物を前に立たせて勘違いさせてしまっているかを理解していただきたい。
それは,人間の体から蛆がわくより気持ちの悪いこと。自らの破滅を自らで推し進めるおバカな行為。
教養や知識もなく幼稚で立場だけ与えられた人々がいかに無知で不快で危険な人間か。
良心的で論理的な知性ある本物の知識人との言動の差を一度比べてみる価値はあるが,それ以外は何の価値もない。自身のために現場を利用しようとしている張本人達だからだ。頭の悪い人はもっと頭が悪くなる。頭が悪くなるだけでなく,搾取され巻き上げられ何の価値もない。自分たちは英語もまともに話せないし何も出来ないし,してきていない人達だからだ。
私に賛同してくださる方が少しでもいるならば,7月14日は,東京でお会いしたい。東京でお会いしましょう