女王様が,
カッコいい英語教師テラリンこと
寺島隆吉先生と出会うまで(プロローグ)
8月8日(日)に待望の寺島先生がこちらに来られた。
(ヤッター!やっとお会いできたー!いいでしょ,羨ましいでしょ?)
6年前に開かれた県の英語研究大会で,講師として招かれた先生に一度お会いしていた。この便利な時代に,先生は日本古来の伝統的な着物をまとっておられた。最初の印象は,随分と風変わりな方なのだなぁと・・・・ぶっちゃけ思ってた。(笑って許してください。)
でも,もしも,あの時に,先生の偉大さを知っていたら,こうも悩むことはなかったのではないかと,今になって後悔している。(本心です。)
思えば,英語の教員になってから,ずっと私は何かに振り回されていた。
英語指導・校務分掌・部活・生徒指導・保護者とのやり取り。
何から何までずっと振り回されていた。学校が変わる度に180度やり方を変えねばならず,4校目にして極限まで達していた。
これが良いと思われる最良の方法を取っていたつもりが,そうではなかったり。生徒のためになろうと思えば思うほど,別のところから叩かれ,裏切られ,傷つけられ。私はもうコリゴリだった。実際,生徒本人たちからの嫌がらせを受けることも多々あった。ここで詳しく述べることはしないが,十代の若者の残虐さは想像できないくらいのものだ。
もちろん,思慮深い良い子も多くいた。私はこの子達に救われて,今もまだ仕事を続けられている。
教師という職業を選んで,今までの間,一番私が傷ついたのは,実はそういった学校現場の出来事ではない。
それは,同じ現場の痛みを分かっているであろうと,信頼し心を打ち明けた人物(元現場の英語教師)が,あろうことか,逆に私を利用して,立場が悪くなれば,私に圧力をかけ言動を封じ,自らの利益や保身のためだけに動いたことだ。
自分が書いた教科書を採用してくれから始まり,自分の書いた記事がいいとアンケートに書いて投稿してくれだとか, 某雑誌に載せてやるだとか, 「あなたをスターにしてやろう!」とか,およそ教育者とは程遠い言動をしていたこと。そして,許せないことに,まだ平然と公にそういう人間が発言権を得ていること。
私自身は,「教育とは,後輩である人を自分以上の人間に育てていく。」ということだと思っている。私が尊敬する先生方は皆,裏表なくそういう人格者だった。これまでの尊敬する同僚も管理職も皆そうだった。
その人は,立場を利用して,後輩を貶め利用し,未だ居座ったままだ。そして,皆さんがご存知のように,未だに変な言動を続けている。変な言動をする人間がいたら,私が今述べた人間だと思っていい。
しかしながら,本人は飯を食べるために,そして,これからどんどん肥えていくために,自分が私にした迷惑など省みることはないだろうし,改心もしないであろう。
本当は,恥をかかせるために放置することが一番いいことなのかもしれない。でも,英語教師はバカが多いから黙っていられないのだ。平気で変な言動をし,平然と人の上にのさばるからだ。
書いているうちにヒートアップして,なんだか随分と長くなってしまったが,
結局,そのような理不尽で今まででは考えられないような,普通一般の教員が経験できないようなことが,実際,私の身に起こったということが言いたかったのだ。
話を元に戻し,
その当時,わたしは悩みのずんどこにいたので,ある方に英語教育についてご相談させていただいた。そして,その方からチョムスキーの本を推薦していただき,何冊かの著書を読んだのだ。
チョムスキーのことを知るにつれて,彼に興味がわき,自身でも何冊か著書を購入して読み始めた。
その時手にしたのが,
寺島先生が翻訳された「チョムスキーの教育論」だった。
「チョムスキーの教育論」を私は貪るように読んだ。
そうすると,以前の苦い自分の経験と酷似した内容が,何度も何度も出てくるではないか。
真っ赤になるくらい線引きをしながら読んだ。
凄く率直で面白く,そして一つの方向が見えてきたような気がしたのだ。
この本がきっかけで,私は先生の大ファンになった。
今も英語の教師の中で先生が一番カッコいいと思っているし,出来れば先生のようになりたいと思っている。
この「チョムスキーの教育論」が縁で,昨年の10月に,私は英語の研究会に先生が登壇されるとお聞きし,兵庫まで向かうこととなる。そして,今回こちらへ来られた先生に直に指導を受けることができることとなった。
(次の寺島先生の御講義へ続く)