早速,ご講義の内容に移ろうと思っていたつもりが,
先生に限って,書きたいことが,まだ沢山あったことを思い出したので,予定を変更してお送りする。
(じらして・・・ごめんね,バチ!《ウインク》)
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こちらへ来られる数か月前に,寺島先生が大変な心臓のご病気にかかり,手術を受けたという知らせを聞いて,私は,とてもショックを受けていた。
そのショッキングな知らせを聞く前まで,今はどちらの大学で教鞭をとられているのかしらと,
「知らせのないのは,おそらく良い知らせ」だ,と勝手に推測していた。
岐阜大学を今年の3月にご退職された後,どちらの大学に移られるのかしら,もしや,私の住んでいる地域に先生が来られるのではないだろうか,そうであったら嬉しいのに,と思っていたのだ。
実際,先生は心臓のバイパスの術後まもない状態で,外出するのも同行者が必要な程であった。
今回,こちらまで先生が来られたことは,
命がけの旅であったことが,容易に察することができた。
まずは,こちらにお越しいただいたことに,大変感謝申し上げます。
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前日の7日の夜には,懇親会があった。
最初に先生にお会いした時,
「あー,本当にご無事で良かった。」とホッとしたことを今でも思い出す。
先生のテーブルの隣のテーブルに,私の座席は決まっていたのだが,変更してもらい,同じテーブルにちゃっかり座らせてもらえることになった。(追記:⇒wの解釈が間違えていたので訂正します。)
その日は,やっぱり先生流で,甚平を着用されていた。
前にお会いした通りの笑顔で,何よりだった。しかし,もともと細くていらっしゃる身体が,また細くなられたような気がして心配であった。
そのような大変な状態であるにも関わらず,2次会にも同行していただいた。当初の倍以上の人数が先生を囲んでいた。その他の教科の先生方も多く参加していた。それくらい先生は,皆の注目を受ける方であった。
2次会では,先生を囲み(ギュウギュウでした),皆が質問をして,先生から応えていただくかたちで,ざっくばらんに飲みながら話をした。先生は,元定時制高校でも英語を教えていたことがあり,大学の教育者でもあられたので,話が上手いし,皆をまとめることが上手である。決して高圧的にならず,その場に集った人々の目線で語られた。
飲み会の席ですら,先生は,常に答えを先に述べず,「それは,なんだと思う?どうしてだと思うか?」という質問をされた。(翌日の講義で,先生のこの話法《話し方》は,普段の先生の教授法そのものだという方がいて,私自身もそう感じた。)
なんだか,学生時代に戻ったような気がして,すごく楽しく充実した時間を過ごすことができた。もちろん,翌日もだ。
懇親会の席では,英語教員よりも別教科の先生方,特に社会科の先生が常に質問していた。英語教育は他教科の先生方にも注目の的である。
そして,やはり,英語教員は他教科の先生の中でしか健全化されないと思った。
たくさん面白い話題が出てきたが,その中で私が最も印象に残ったのは,
ある事務職の先生(お若い方)が述べていたことだ。
「私は学生時代から英語が苦手で嫌いだった。大学受験も,英語の教科のないところを選んで受験した。中学二年生の時に,英語の発音が分からなくてその当時の英語の先生に質問したら,(その彼女は右手を上げて左下に勢いよく下げ)『こうやって「ブーン」だ』と先生に説明されて,全く分からなかった。益々,苦手になった。」と。
この彼女の話は,英語教師が恣意的に英語を教えることの恐ろしさを指していると思う。文法の説明,発音の仕方の明確な指示なしに教えることは,間違いなく英語嫌いを増やしてしまうような気がしてならない。
子供達にとって,言葉は決して恣意的なものでないと,強く,強くおっしゃられていた池上先生のことを思い出した。
以上のことは,寺島先生の著書である
『英語教育が滅びるとき 英語で授業のイデオロギー』の翌日の講義にも通じる部分があった。
「英語なんか英語教師は,英語を教えること以外では,使わない。ALTの世話の時ぐらいだ。」と,はっきり言われる先生は,実に的を得ている。
英語教師である先生はと言えば,チョムスキーの翻訳をしたり,海外で何が起きているのかをブログ等で述べていたりしている。先生自身は,先生の素晴らしい英語力を,日本での生活の中に生かしている実践家である。http://pub.ne.jp/tacktaka/?monthly_id=201008
寺島先生は,東大では科学哲学を専攻されていて,本当に頭が良い方で,弁が立つし博識だ。決して偉ぶらないし,ひけらかさないし,とても謙虚な方だ。実際,先生が言われるから,耳を傾けることのできることは多い。色目づかいをして,知識がないから自分自慢をする,どこかの英語教授とは全く違う。
昨年の10月に,大風呂敷の話をされたことを思い出す。英語が一番苦手な子供達をも包み込めるような指導法のことだ。
実際,先生が翌日教えてくださった『魔法の英語』は,そのような子供達に配慮した素晴らしい教材だった。(この教材で,先生は全国を一世風靡したと言われるている。)
追伸: 先生が,常に左胸が痛いとおっしゃられていたことを思い出す。先生のブログにもあまり調子がよろしくないことが分かる。本当に心配している。