慶應義塾大学言語教育 シンポジウム
英文解釈法再考
認知科学からみた英文解釈法
大津 由紀雄先生
(慶應義塾大学言語文化研究所教授)②
これまで,どうして日本語を交えた英文解釈法が批判されてきたかというと,英文解釈法そのものではなく,運用(実践)の仕方に由来する問題や,英文解釈法の効用・効果を正しく評価し損ねていることに由来する問題が考えられる。
運用の仕方に由来する問題は,
1.発音がないがしろにされる。(文法訳読法の負の遺産)
2.文法ばかりを気にして誤りを恐れるあまり,人前で英語を使うことが出来ない。(規範主義の負の遺産)
3.「公式」や「構文」への過度の依存が見られる。
4.使用頻度の低い「公式」や「構文」が珍重されることがある。
効用・効果を評価し損ねていることに由来する問題としては,
しばしば入り組んだ構造の文や文章を取り上げるので,「ことばへの気づき」の発達を促し,英語だけでなく,日本語の効果的運用」に繋がることに気づいていない点である。
以上のことを示されるために,日本の古典での良書をご紹介してくださった。それがこれ↓
小西甚一 2010
『古文の読解(ちくま学芸文庫)』
ここまでの内容は,英文解釈や古典の指導が,先生が当初から主張されている『ことばの気づき』そのものだけでなく,『母語を利用したことばの気づき』の育成にも大いに役立ってきた。また,その上に個々人の自己努力もあわせて,日本人の英語能力や古典読解力を高めてきたことを図で示された。そして,そのような意味のある解釈法を,いかようにして英語教授法として批判され,評価し損ねられ,廃れてきたのかを詳しく説明されたのだった。
その上で,現在のオーラル・コミュニケーションが強調され始めてから,英語教育現場に以下のようなことが問題として起こってきていると言われる。
1.体系的文法学習機会の減少
2.複雑な構造の文や文章の学習機会の減少
3.学習語彙の減少
そして,英文法だけでなく英文解釈が姿を消していった。
英文法と英文解釈が姿を消していった現在,どのようなことが起きているかというと,
「ことばへの気づき」もその育成もなく,ただ個人の自己努力だけが残ると言われた。(学習者に対して,ぜいぜい,がんばれやー,うまくいったら身に付くからなー!出来るようになるかどうかは,君次第!私はあなたの英語能力をどうすることもできないから,ごめんなぁ!と,コミュニケーション重視の指導法は言っているようなものだと,私には聞こえるし,実際そうなっていると感じる。)
このような悲惨な状況が生まれたわけを,大津先生はこのように述べた。
1.
英語教育(や国語教育)の政策に影響を与える人たちの中に,ことばの構造と機能についてきちんとした見識を持った人が少ない。(先生はオブラートに包んで言われていたけれども,私は皆無だと思ってる)
(素朴言語学)←ここにある『素朴』はお馬鹿加減にも程がある!と先生が命名したものだと私は思う。
2.
英語教育の政策に影響を与える人たちの中に,母語獲得と外国語学習についてきちんとした見識を持った人が少ない。(たとえば,ESLとEFLの混同)さっきも言ったように,『少ない』って言うのは,控えめすぎて,はっきり言って皆無であるといいたいのだと私は思う。そして今度も,いい加減にしろよ,この野郎バリで,(素朴言語心理学)
3.
英語教育(や国語教育)の政策に影響を与える人たちの中に,「ことばのキャッチボール」という言い方に端的に凝縮されている皮相的な「コミュニケーション」観しか持っていない人が多い。(ここで初めて『多い』と使われる。ので,全員がうわべっ面でしか理解できていないことが分かる。先生!日本の国は大丈夫なのでしょうか?)(素朴コミュニケーション観)
この3つの素朴学・観を総称して,
素朴3兄弟と呼ばれたことばすごく愉快で面白かったし,
どんだけ不勉強で盲目な人たちがそろって,日本の言語政策を決めているのかが垣間見えた。
とくに,新学習指導要領の施行前に,逃げるようにして文部科学省の教科調査官を退職した人たちの顔と名前が浮かんだ。特に小学校。
また,英語教育において,『人間教育!人間教育!』とよく叫ばれているが,そのような不確実で良く分からないものを平気で言ってのけること自体,怪しいと私も思った。「人間教育」って何ですか?と私も本人に聞いてみたい。
それから,英語教師が良く売り出しているDVDは怪しいので,購入しても無駄だということは激しく同意した。立って大拍手を送りたいと思った。
*追記で,
大津先生は,私に,「あなたはいつもいい事しか言わない。」と言われました。ですから,一つ申し上げたいと思います。
途中で先生が紹介された演歌グループの内容は,今思い出してみても全く覚えていないですが。大半の聴衆の皆さんには,面白くおかしく聞こえていたでしょうし、多分実際そうなのでしょう。しかし,一部の女性には不快感を覚える,ある意味セカンドレイプのようなものであることを先生は気づいておられません。その場から消えてしまいたいような,不快なものであることを申し上げたい。
それと,私は,先生が大学教員の中で英語教育で目立とうとしている人間を揶揄して叩くのに,現場の教員を持て囃し,著書を共にし,どっちつかずの言動を取られるのがとても嫌で溜まりません。今回も,そのようないい加減な態度を,先生がもしとられるのであれば,慶應に行くのも止めようと思っていました。結果的に参加できて,得るものがあって大変充実した時間を過ごしましたが・・・。
私は,先生が中途半端でいい加減な言動を取られたときは,一切耳を傾ける気はありません。それは,言動不一致であるとわたしは考えるからです。大変,厳しい言い方ですが,そのように思っています。
現場の目立たなくて,真剣で悩んでいる先生方の味方なので,弱い立場の人間の味方なので,そうします。先生が悩んでいる子供達や先生方の味方だと信じるからそのように思います。