慶應義塾大学言語教育シンポジウム  英文解釈法再考(斉藤兆史先生)① | 女王様のブログ

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慶應義塾大学言語教育シンポジウム 英文解釈法再考 


斉藤兆史先生 東京大学大学院教授 


外国語学習法としての英文解釈法のすばらしさ


お二人目に登壇したのは,斉藤先生だ。


斉藤先生はNHKの3ヶ月トピック英会話の講座に講師として出演されていた。


以前,先生が英語教育時評(言っておきますが,今は絶対『英語教育』は買わない。)に寄稿されている文を拝見して先生に興味を持って以来,いつか実際にお会いしてお話してみたいとずっと願っていた。

今回,慶應まで出向いたのも,先生に一度お会いしたいという思いもあったからだ。


先生は,教員免許更新制や他の強引ともいえる政策に関して,いつも本音でお話くださっていた。政権がねじれた状況の中で,免許更新制が廃案になるかどうかは現在のところ宙ぶらりんでどうなるかわからない。

わたしが対象年齢になったとき,先生が講座をもつことになったら受講しに行く。なぜなら,先生は「そんなものは不要」といってくださっていたからだ。そうなったら,高い交通費を払っても絶対に参加する。


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前置きが長くなったが,


最初に先生が述べられたことは,英文解釈(法)を推奨するにあたっての前提だ。それは,基本的に,学習者はそれぞれ個人的にその学習法があっているかどうかを知るために,様々な学習方法を試してみるといいということと,英語教師というものはGeneralistでなければならないということだった。


前提はさておき,ここでGeneralistというものがどういう人のことをいうのか,ジーニアス英和辞典で引いてみると,


Generalist とは,名詞で

1.多方面に能力・才能がある人,万能選手,(官庁・企業で)一般(総合)職の人,何でも屋

 

2.広食性動物,何でも屋(さまざまな食物を餌とし,さまざまな環境で繁殖できる生物 という意味である。

Generalist = a person who has knowledge of several different subjects or activities. a person competent in several different field or activities.

と英英辞典には説明されている。



学会発表の場で,以前自分ことをべた褒めしていた元現場の教員上がりで英語教育学専門の教授が,英語教師はSpecialistでないといけないと,公然と述べていたことを思い出した。


斉藤先生は全く逆のことを述べておられた。わたしはこれをお聞きして,この方は分かっておられると直感した。


Specialist = A person who is an expert in a particular

area of work or study

a doctor who has specialized in a particular area of medicine.

a person who is concentrating on a restricted field, market or area of activities.



英語教員で,自身をスペシャリストと豪語する人間もしくは,俺様のようになれ!俺様は特別と成り得た選ばれし者だ,俺とお前達とは違うんだ,なぜならスペシャリストで大学教授にもなれた元現場の教員なのだから!と言って回っている人は,間違いなくインチキであることが分かる。すべてこれはわたしの考えであるが。



斉藤先生は,その後次のように続けられた。



今までの英語教育では,文法や訳読と実用コミュニケーションのどちらのほうが大事なのかとずっと議論がされてきた。そして,実践的コミュニケーションと呼ばれるもの,すなわち「聞く・話す」ということに重きが置かれてきた。


それは,「日本語への置き換え作業の域をなかなか脱し得ない日本での英語読解教育」などと日本の従来の英語教育に批判した小池氏のSLA研究会で発表された中にも出てくる。


また,



19世紀から今日に至るまで,文法・訳読式は,指導者によって今までずっと行われ,存在している。しかし,それにもかかわらず,外国語を教える上で学習者に一番手っ取り早くその効果が出るものは何かと研究し発表してきた人々によって,文法・訳読教授法は非常にまずいものだと痛烈な批判を受けてきた。

文法・訳読式は,20世紀には,嘲り謗られ,そして無視されてきたものなのである。と,海外のSLAの研究者達にもこのことは常識であるということが言われていた。


それから,上記の批判から改訂されたであろう,今回発表された学習指導要領のことに触れられた。


「英語に関する各教科については,その特質にかんがみ,生徒が英語に触れる機会を充実する原文ママ)とともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業は英語で行うことを基本とする。」(平成21年度改訂 「高等学校学習指導要領 外国語」第3款の4)


下線部は,充実させるではないかと,学習指導要領の文ちょっと日本語としておかしいと指摘されていた。実際わたしもそのように思っていた。



斉藤先生は言葉を大切にする方だと思う。敏感に言葉に反応して,言葉を正しくきちんと使われる方だ。これが言語教師のお手本なのだと思う。


そして,最近日本でよく言われる「コミュニケーション」について言及された。日本人が外国語学習に関わらず,巷は,なんでもかんでもコミュニケーションをつけて流行っているように思えるが,最新の西欧の第二言語研究において,『コミュニケーション』などという言葉は使わなく,すでに時代遅れなのだと述べられた。コミュニケーションの定義が良く分かっていない日本人は,なんだか分からないものに飛びついてしまう傾向があるが,コミュニケーションなどという言葉は出てこないのだそうだ


先生は,イギリスを始め,欧州の応用言語のEFL研究では,コミュニケーション重視を出してくることはもうない。日本の英語教育は時代遅れだ。とはっきりと述べられた。

書き留められなかったのだが,出自もはっきりと言われていた。(これは現在先生が研究されている応用言語学の最新分野なので,ひっそりと教えてくださったのかもしれない。)


大学生の英語力,特に『読む・書く力』が落ちてきている中で,文法・訳読式の授業を支持する声も上がっている。例えば,「西欧諸国において廃れてしまったと言われるG-TM(Grammer Teaching Methord)方法であって,文法・訳読式教授法は,教育現場で実際なされているのだから,現代においても代表的な日本の外国語教授法である(平賀 2007),とする日本の学者もいると述べられた。




また,「大学入学後,知的世界での活動を求められる,日本語を母語とする人材には,英語学習における訳読という手続きをしてきて欲しい。」(菅原 2009)と述べられる方もいることや,



日本語の母語話者が『訳す』という行為を経ることなく国内で外国語をマスターすることはありえないといってよかろう。・・・・教員は学生のレベルや専門性を踏まえて英語を用いてどのような活動をおこなっていくかを考えつつ,バランス感覚を持って臨機応変にいくつかの学習活動を連動させていくことが期待される。(中村,2009)




そして,「文法訳読式教授法 とコミュニケーション能力重視型教授法との関係は『互いに否定し合うもの』というよりは,『互いに補い合うもの』ととらえる方が妥当であろう。(白畑他著 2009)



など,現在,コミュニケーション重視ばかりが叫ばれる日本の英語教育界にあって,文法・訳読式を支持する方たちの文章をご紹介してくださった。