「分からない」「嫌い」・・・・「そして格差」
中学生が学ぶ教科の中で分からないが最多なのは英語である。
中・下位層の深刻な学力低下も著しい。
裕福な家庭の子が多い成績上位層は塾で英文法や英文解釈などを補ってもらっているのだから,学校でやらなくても分かっているのではないだろうか。
学習指導要領の拘束を受けにくい私立学校は,英文法や英文解釈などで学力をつけている現状がある。
わたしが現在住んでいる県も,お知り合いの歯医者さんから聞いた話によると,20数年前までは,NHKが取材に来るほど学力が高く評判が良かったのだが,改正される度に,学習指導要領どおりに現場の先生方が忠実に指導してきた結果,センター試験の平均点は以前に比べて随分と落ち込んでしまっている。(以下青線部分はわたし(女王様)の言葉)
ここ4,5年の間に県外の有力校の視察に行った話しをお聞きすると,結果を出している県は,学習指導要領が変わったとしても,指導法を従来どおりに貫き通していたところだった。子供達の学力,英語力が落ち込んだとしても,国は全く知らん顔である。忠実に行えば行うほどバカを見る結果になっているのは間違いない。
家計により,大学進学にも格差が生まれており,これは,東大経営・政策研究センターの調査結果からも明らかな結果が出ている。この経済的な格差が,英語教育にも大いに影響していると思われる。
どうして,このような悲惨な状況になっているか,誤りの根源は何かという問いに対して,
先生はこう述べられる。
① ESL「第二言語」とEFL「外国語」を混同しているから。
② BICS「日常伝達能力」とCALP「認知学習言語能力」を混同しているから。
日本はEFL環境(英語を外国語として学ぶ環境にあること)であり,そのような環境の下では母語(日本語)を使って英語を教えていくことが効果的であるということを結論づけられた。
また,先生は続けられた。
日本において,
英語が日常会話として使われていない環境の中で,
学校の中で限られた時間内に,英語の仕組みが分かって自ら学べるようにしていく英語教育に仕向けるには,文法,構文,語法などを身に付けさせることがよいのではないかということであった。つまり,今回のタイトルにも出ている『英文解釈法』は,日本人がEFL環境で学ぶには適していると話される。まさに先人の知恵であることに言及される。
江利川先生が学生時代に,英語の教材として学んでいたのは,1970年代まで共通一次(現在のセンター試験)の御三家だった,モーム(英文学者),ラッセル(哲学者),トインビー(歴史学者)だった。当時の高校生は,英文を読みながら一流の考え方や知識を学ぶことが出来ていた。それはCALP(認知学習言語能力)の英語であったのだ。
さて,今の高校生はどうだろうか?
斉藤先生が命名されたとされる,「ハンバーガー英語」に象徴されるように,中身のない表面的な話題ばかりを取り上げられたものではないだろうか?買い物,電話,道案内etc.
学習指導要領にあった語彙数も、1950年代には5800語だったものが現在は2200語と,半数以下に減らされている。
先生は伊藤和夫の言葉をかりて述べた。
『考え方が幼児化すると同時に,教師のほうも幼児化したんじゃないか』(伊藤和夫の英語学習法)と。
時代を追ってみると,旺文社の大学入試関連の参考書の傾向と対策のタイトルは,以下のような言葉の変化が見られる。
英文解釈(1958) ⇒ 英文読解(1990)⇒ 英文長文読解(1991) ⇒ 英語長文読解(2000)⇒ 英語でコミュニケーション読解?(2013)女王様が勝手に予測
それから,文部省(文科省)の行政指導の話や,それに対する高校校長会からの要望や経済界からの要求などを紹介してくださった。
今後の課題として,
① 英文解釈が古代の漢文訓読法にルーツを持ち,明治の先人達のよってEFL環境の日本にふさわしい学習法として体系化された『日本の英学の歴史が生んだもっとも独創的な業績の一つ』であることを再認識し,誇りを持って活用すること。
② 英文解釈法には英文和訳から直読直解までの様々な段階があることを再確認し,指導に当たっては,
1.英語がBICS程度かCALP程度か
2.短文精読か長文速読か
3.学習者の熟達度はどうか
などによって使い分けること
③ 英文和訳には,母語の再認識,言語への関心の喚起,日本語力と思考力の鍛錬などの面で積極的な意義があることを確認し,新高校指導要領での『授業は英語で行う』の誤りを批判かつ無視し,「指導要領解説」でこっそり軌道修正した「日本語を交えて英語を行うことも考えられる」を盾に,自身の信念と生徒の実情に応じた指導を。(これに関しては,1930年にパーマーも当初は英語での授業を推奨していたのだが,日本では日本語を入れて指導するほうが好ましいとしている。明治時代に,全国から選りすぐられた学生に対しての週8時間の授業ですら英語で行うことは不可能であったそうだ。)
④ ESL的なオーラル偏重路線をEFL型に改め,高校で英文法,リーディング,ライティングの復活を文部科学省に要求する。
⑤ 英文和訳中心の一斉授業は,教師にとって気楽で麻薬のように抜け出せなくなる危険性があることを自覚し,音読,多読,協同学習,自己表現活動などを含む多様な指導法を交えて授業を工夫することで,学習者に深い学びを保障し,自立学習へと育てる。
ということであった。
先生のお話は,生徒達や現場の先生方をどうにかして支えたいという慈悲のお言葉が現れていて良かった。先生ほどの有名な研究者になると,お上(文科省)の都合の良いように言動をコロコロと変えてカメレオンのように振る舞い,現場の先生達を陥れる人もいるというのに,先生は終始変わらず,ずっと一つの方向を見ておられる。それは,権力に決して屈しないという姿勢。生徒達や現場の先生方の言動を守ろうとする姿。そして,わたしは,権力を恐れずにはっきりとした物言いをされる先生が好きだし,実際二次会までご一緒してお話させていただけたとき,この方は信頼できる人だと思った。
理想とする英語の指導者というのは,理想的な人格者であることだ。決して中立的なずるい立場など取らない,はっきりと意見を述べることを先生から学んだ。
わたしには,聞けずじまいの質問が一つあった。それは,英語の協同学習は効果を上げられるものなのかということだ。それと,もし,先生が文科省に入ることとなったら,今回の改訂時のように権威的に言葉を使い,現場の声を掻き消すようなことは決してなさらないで欲しいとお願いしたかった。