恭賀新年(ご挨拶と2010年度の女王様のテーマ) | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

今年もどうにかやっていくぞー,おー!


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売りものガンダム,一畳くらいの大きさがあります。


お正月は何かと忙しい。

いや,いつも何かと忙しい女王様。(仕事も遊びも何もかも)


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2010年女王様のテーマ


今年のテーマは,リンカーンとガンジーの言葉からヒントを得ていくことにした。


・「人民の人民による人民のための政治」

 byリンカーン


この言葉は,リンカーンが1863年11月19日にゲティスバーグ国立戦没者墓地の奉献式場で述べた演説の一説だ。


彼は,南北戦争の中で奴隷解放を強く訴えてきた。ゲティスバーグは一番多くの犠牲者を出してしまった場所なのだ。彼が演説の場としてここを選んだのも,そういう理由がある。


演説の中で彼は,「国民」とは言わず,「人民」という言葉を使う。国民という言葉を使うと,彼を支持する北部の人たちのみに演説を行ったと誤解されてしまう恐れがあったからだ。


「人民」と呼ぶことによって,南北双方の人に向けられたものとなった。


この言葉,実は日本復興のために来日したGHQのダグラス・マッカーサーが,戦時中,日本国民が国家権力によって圧迫されてきた事実から,日本国憲法の草案前文に,リンカーンのこの言葉を織り込んでいる。


日本人には,国の権力の圧力を外国人に制してもらったという潜在的意識があり,アメリカ人には頭が上がらないとか,なんとなく卑屈に感じてしまうような部分があるのかもしれない。しかしながら,戦時中には,反戦運動で投獄されたり殺されたりした人もいるのだから,日本人が権力に対して全く戦ってこなかったというわけではないのだ。


やっと,一人ひとりの言論の自由が得られている世の中になったのであるから,良心的な人物の言葉を自分のものとして,何が真実で何が危険なのか,何をなすべきかということを,声をあげて語って語って語りぬいていくのことが大切。(それぞれの意見の違いを認めながら。でもここぞという場では,絶対に譲らないようにして。)


この言葉「●●の●●による●●のための○○。」は,何にでも当てはまる。


●●を「日本人」「女性」「男性」「子ども」「~県民」「~研究者」「~団体」などとしてもいいし,

○○を余暇,おつきあい,ブログ,関係,エコ,教育,スポーツ,女王様だったら英語教育。


こんな感じに,今年はやっちゃおうかしらって考えている。


政治という面だけに限って言えることでない。


でも,世の中に,政治ってちょっとヘビーじゃねぇ?っていうお考えの方がいたとすれば,

政治って敬遠されがちだけれども,そうやっていい加減にして考えてきた人たちが多くいるから(女王様の上の世代),落ちぶれたんだよね,日本って。


・「国民一人ひとりの心を失って,私の政治活動はあり得ない」 

 byガンジー


ガンジー師匠のような境地は,菩薩様いや仏陀の域に達しているので女王様のような凡人がその域に達することは不可能。(不正に怒りを感じない方がおかしいから,いいのそれはホントに。それはそれで。阿修羅みたいですけど・・・。)


これはこれとして,


インド独立の父,マハトマ・ガンジーは上の赤線の言葉を,側近との会話の中で発した。


彼は重要な会議を前にして,一本の鉛筆を探していました。側近が「わたしのをお使いください。」と進言すると,ガンジーは「その鉛筆を私は決して使ってはならない。」と返した。

その後,二人で鉛筆を探して見つけ,


「ある演説の会場の中で一人の少年が,この鉛筆を私に寄付してくれた。子供にとって大事な鉛筆を,独立運動のために差し出してくれたのだ。そんな国民一人ひとりの心を失って,私の政治活動はあり得ない。一人の少年の熱意を忘れて,いくら政治を論じたところで,それは空論にすぎないだろう。この気持ちを私は後回しにはできないのだ。」と語った

この言葉は,通じるんだなぁー,すべてに。

「●●一人一人の心を失って,私の○○はあり得ない。」


この●と○に皆さんに合う様々な言葉を入れて見てください。


ちなみに私は,●に生徒,陰に徹して生徒のために頑張っている現場の先生,○に英語教育,学校教育。