英語教員の現場の声が上がりづらいワケ | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

ここ何年かで,


英語教育の流れがガラッと変わり,今までバランスが保てていた部分が崩れたのは,


何を隠そう,30代や40代の現場の先生方の人数が急激に減ったからだ。


50代前半の人達が都心部では何千人等単位で採用があった時代から,つい何年か前まで県の採用など「なし」か「若干名」だったから。採用がないからいないのだ。高校は特にそうだ。


「人材不足だから変な奴がのさばる」これはどの会社でも常識。


50代前半の教員の時代は,なんでもありの採用でかなりめちゃくちゃだった。

それこそ英語を学んで無くても先生になれた時代だ。英語の採用数が多いということで,理系らも英語関係でない他の学部の人達もこぞって英語を受験。それくらいいい加減だったし,はっきり言って英語が出来ないのは当然のような雰囲気もあった。反対に地方では採用がなかったので,優秀な人材が集ったのだと思う。



都心部のいい加減で無責任な教員の代表が,禿の髭。こういう人を見込んで文科省に入れた人は一体誰よ。懲戒処分をくらって当然のような人間を据えてしまったことが間違いの発端。

私は,この人達の化けのいつか皮がはがれるのを楽しみに待っているのだ。


女王様が教員になり立ての頃も,都心部では,都会で教員になった,特に地方出身の禿の髭たちの世代の横柄な奴らが,自分達は訓練も受けていないくせに,偉そうに仕切ろうとしていた。こいつら本物の教員の訓練など全く受けていない。だから,軽々しく物がいえるし責任感がない。言語教師の重み,危険な部分を理解できず,無知で愚かなのにも関わらず,現場を仕切ろうとして一体何様なんだと非常に憤りを感じている。これは,ここ5年間ずっと。


そういった変な人達をのさばらせているのも,現場の教員達だ。

自身も名声を得ようと現場を利用し,教育者の本分を忘れチャラチャラした英語教師の多いこと。


自身の名前を売ろうと躍起になって,醜いこと。


それが,あなたの教育者としての本分なのかと私は情けなく思う。

芸能人気取りで何をしているの?


教育現場を良くするのも駄目にしてしまうのも,先生方一人ひとり。


悪い人間を糾弾しないのは,その人達と同調しているのと同じ。


いじめを行なった人を見て,その人を責めないのはあなた自身がいじめをおこなっているのと同じ。


子供達にあなたは何を伝られるの!


そういった声が現に出ているのに,なんで知らないフリをするの?誰が,子供を守るのだろう。


言葉は大切だ。言葉は私達のライフラインなのだ。


その言葉の政策を実行せねばならない人間の醜態といったら,ここでは恥ずかしくて言葉に出来ない。


「○○さんをスターにしてやろう」と言って,現場の人間を釣って利用したのは誰か!禿げ!


自分が書いた教科書を現場の人間に売りつけようとしたのは誰か!


出張と称して女と会っていたのだろう,お前?公金でだぞ,それも。


公の仕事を利用してコネをつくり,自分達の不愉快な仲間の会を催して現場を仕切っているフリをしよって。


あまーい声で,「今どこにいるの?」っと聞こえた人は後の人だろっ!


皆で興信所に頼んで調査してもらった方がいい。


こいつの本性を知っている人間は,皆同じように雑誌に投稿させたり,仕事で優遇してやったりと,ボロを出されないように取り繕っているんだ。

本当に気持ちの悪い集まりだ。


騙されるかそんなものに。こいつの属している研究会の人達も早く目を覚ましてこいつを追放した方がいい。


健全な流れが保たれないから。


チンケな人間を絶対に許しては駄目。


小学校英語が導入するまで20年以上を要したというが,その時代は日本がバブルで勢いづいていて狂っていた時代でしょ?その頃に出てきた案を,どうして今出すの?あの頃の日本と違うわけでしょ?

時代のニーズの見極めも出来ないような状態で舵取りを始めて何になるのかしら?


アメリカ人は中国語がブームらしい。


私達が時間をかけて初歩的な使えない英語をやっている間に,欧米人は全く相手にしないまま過ぎ去って行くんだ。いつだって空振り。英語を母語として使っている人間に勝てるわけが無い。


日本人の誇りって何よ。もう一度基礎基本に立ち返れとは,日本の古来の教育のあり方子育ての仕方を見直せってことではないかしら?


何をどうしたらよいのかしら,もう堂々巡りは真っ平だ。


私は日本人であることの誇りだとか自信をつけるために,もう一度海外で自分を試してみたい。

チンケな人間の言動を大事にする日本に対して,残念がっているんだ。日本を好きになるために海外へ行こうと思う。


今日は特別な日で,

感傷に浸っている場合ではないのだが,愚痴っていてもしょうがないから一歩を踏み出す。


私には出来る。今までだって頑張れたのだからやってみせる。