成熟した大人とはどういう人なのか | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

成熟した大人は,

自分のことを信じれる人だ。自分のことを大好きになれる人だ。


一度きりしかない人生なのだから,自分の持っているものに愛着を持って(時には誇りに思い)生きていったほうが得だ。性格も価値判断もすべて。


自分の価値判断を信じれるから,人を愛したり愛されたりする。自分が好むような心地の良い環境も自ずとつくっていける。


それから,幸福になれるかどうかも最終的には全部自分で決めている。


恋愛や結婚も,自分を信じることが出来ない人にはできない。


恋愛ベタな人たちは,相手に過度な要求をするばかりで全く恋人が出来ない。人と付き合うことが出来ない。彼らが結婚が出来ない理由を述べる時,自らが信じるに値しない人間だと公言しているようなものなのだ。


自分に自信がなく自分を信じれないから恋愛できない。


自分に自信が持てない同士の付き合いは,最終的に不幸だ。悪い結果の責任の擦り合い。自分の判断を信じることが出来ない人の周りの人間は振り回されて不幸だ。

だから,私は自分を信じることの出来る人のそばにいるし,そばにいたい。


足りないと思えば足りるまで努力すればよいし,

すべてに満ちたりているなら,そんなに素晴しいことはない。(すべてに満ち足りるように自分を生きることもその人の持っている立派な得意技)


成熟した大人は他人を許容する余裕があり,自分のことを信じることができる人だと,今先程ふと感じた。


失敗も成功もすべて,自分で責任を持つことが出来る器の広い人間のことを,成熟した大人だと言うのではないかしら。


若くてもそういうことの出来る人はいるし,歳をとっても愚痴ばかりで自身を省みない人もいる(某禿げ)。


私は十分成熟しているので,


幸せです。


十分成熟しているので,そうでない人を見ると非常に腹立たしく思うし,

おかしい人間を見かけたら,はっきりとおかしいですよと言う余裕がある。


そうでない人は,自分がおかしいことにも気づかないし,人を傷つけても平気で生きていける分,成熟した人間になれないのだ。不快なことを不快とはっきり言える人はそう多くないので,そのように出来る私は,自分のことを大好きに思っている。


これは一生変わらない。

私の判断は間違っていない。(どこからか拍手が聞こえる。パチパチパチ!あー,いやー,どーも)


これからも楽しく豊かに生きていく準備も心構えも出来ているし,実際そうなのだ。


私は私でいることがだーい好きなのだ。