西山先生は,35年間慶応義塾大学にお勤めになって,4年ほど前に明海大学に移動されたそうだ。
先生が会場に入られた時,どこの芸術家なのかしらと思ったほどお洒落で素敵な雰囲気の先生だった。
髪の毛にデジタルパーマをかけておいでで,一昔だとソバージュとか言っていたのですけれども,男性の長髪の方って,先生ほどのお年の方には最近ではあまり見られないので新鮮だった。
言語学者というより芸術家のような先生だ,もちろん外見の雰囲気だけだけれども。慶応の名誉教授ですので経歴も話される内容も一般人とは違う,やはり際立ったものがおありになる。(これは勿論の話なのだが)
お話された内容は,
“曖昧表現から言葉の科学を見る”だった。
ambiguity とは何か?
今までの先生方の共通点はすべて「~とは何か?」だ。
これって,愛って何か? 家族って何か? 仕事って何か? 突き詰めてみれば,人生とは何か?とかになるようで,まさしく哲学的な感じだ。
この手の話題で,一生の時間が潰せそうなくらい私も好きだし,興味がある。人生振り返ってみて,聞いたり話したりし盛り上がった時期もあった。
今度9月12日に野矢茂樹氏(東京大学大学院 総合文化研究科教授)の「意味の他者・意味の生成」というタイトルでの公開講座があり,仕事がなければ飛んでお聞きしたい内容だ。夜の懇親会が催されるのであれば行くかもしれない。('-^*)/
それはそれとして,
先ほどの話に戻り,
「曖昧さとは何か」とは,ある対象に対して複数の解釈が出来るということ。
そして,
曖昧な図形(Grinder and Elgin 1973:5,25やRubinの壺/顔,Neckerの立方体やSchroderの階段)を紹介してくださり,一つのものでも複数の見方があるという分かりやすい例を提示してくださった。視覚的に示されたのは非常に分かりやすかった。
このことが言葉の中にも起こりうるのだ。
曖昧性とは一体どこに存在するのだろうか?
それは,人間の認知システムの問題,人間の心の問題にある。
曖昧性を説明する理論は人間の心の中を解明する理論である。
・ある言語Lの知識を有しているひとだけがLに属する表現の曖昧性が分かる。
・文の曖昧性の要因の解明は文の意味を決定する要因の解明につながる。
曖昧性の中にも多くの種類があり,その中の一つの例として,
・What Henry whispered to Nancy is a military secret.
(ヘンリーがナンシーにささやいたことは軍事上の機密だ。)
ヘンリーがナンシーにささやいたことが軍事秘密なのか,ささやいたという行為が軍事機密なのか,それが軍事上だけの機密で軍事以外ではいいのかどうなのかも曖昧である。
・山田さんが髪を染めている。
山田さんが(誰かの)髪を(今現在)染めているのか,普段髪を染めたことのない山田さんが髪を染めているのか(驚きの気持ちが入っている),山田さんが(自分自身の)髪を(今現在)染めているのか曖昧。
以下の文は矛盾したことを考えているか否かという質問で,
・John believes that the richest girl in London is poor.
・John thinks that Mary is clever than she is.
・ジョンは,結婚している家政婦を未婚だと思っている。
などの例を出して,興味深くなるほどと思えるような「言葉の曖昧性」をワークショップを交えながら説明してくださった。
母語である日本語ですらこの曖昧性に気づかず,さして考えもせず通り過ぎてしまうのだが,それに意識して見る事は物事の見方を変えるきっかけになるように思う。
また,
日本語に曖昧性があるとしたら,もちろん外国語にもその曖昧性が存在するので,本当の意味で外国語を習得するには大変な意識の集中が必要となる。
まずは自分が話している母語に対して意識することが大事だと感じた。
それから,些細でとるに足らないことでワークショップには何も関係ないのだが,
授業の中での西山先生はペットボトルのお茶をお飲みになるとき目をつぶる。(女王様の西山先生の気づき)
懇親会での先生は他のどの講師の先生方よりもギャップがあり面白い。
見た目がお若いため,「電車の中で席を全然譲ってもらえない。」と言われたので,髪を白く染めて,黒ペンでほうれい線を書き,胸に「席を譲ってくれ!」という名札をお付けになられたら良いとお伝えした。こんな感じでも,快く私の言葉を受け入れてくださって,楽しくお話させていただいた。
私(女王様)にとって,夜の懇親会が一番勉強になった。
力のある方は全然気取らないし,人間的に非常に魅力がある。心から楽しくお酒を飲めた。だから,皆さんもそういった機会があれば絶対に行くべきだと思う。普通であれば,このような著名な先生方と話すことなど叶わないのだが,私などの田舎のただの教員にも心を砕いてお話をしてくださることがとても嬉かった。お盆の時期に参加して良かったと思った。
私が先生に,
「言語学者の先生方がお考えになる外国語教育とはどのようなものなのでしょうか?」とお聞きしたら,
「タイトルだけを集めても電話帳ぐらいのものになるくらい英語教育関連の書籍がある。これは,はっきり言って,これというものがないという証拠ですよ。」って言われた。
私はこれをお聞きしてすごく肩の力が抜けすっきりした。大笑いした。
西山先生は英語も日本語も母語のように操ることのできる方なので,その方が言っているということ,そして言語学を極めていらっしゃる専門家なので納得いく。
自身に実践のない人からだとか,素人だったら笑えなかったと思うが,先生だから笑えたし励みになった。
英語教育に,イケイケで中に入り込んでおり,外からどのように見られているかが分からないところにいる人間には言えない言葉なだけに貴重だし,まさに本音で可笑しくってしょうがない。(落ち込んでいる英語の先生方は,元気になるために西山先生に会いに行ったほうがいい。夜の懇親会も含めて。少なくとも私は沢山元気をもらった。)
本音で語る先生が私は大好きだし,勉強になった。
追伸:
懇親会の翌日先生の歯が一本なかったのが気になる。
随分はっちゃけていられたので,奥様に殴られたのではないかと心配してます。それとも電車の中で席を譲ってもらうための演出?一日で人相変わって吃驚でした。