ここに記された人物はみんな人材育成に取り組んでいた。そこにこの6人が光った理由がある。
日本を立て直すという志があった6人は,それが決してたやすくないことも理解していた。だからこそ,後継の人材を育てながら,自身の信念の行動を貫き通した。
勝海舟
彼は若者の自尊心を傷つけないよう扱い,重職につけて仕事を一切まかせ切るという教育方針をもっていた。坂本竜馬も勝海舟の教育を受けた一人で,いきなり海軍塾の塾頭に抜擢されている。これにより竜馬は自己重要感を抱き,やがて日本史に残る偉業を達成することになった。
西郷隆盛
彼は,驚くほど無口な男だった。おそらく現在の学校では絶対に教師は勤まらないような人だ。それでも西郷に心酔する若者が数万人にのぼったのは,徹底的に聞き役に回ったからなのである。どんな軽輩とも気軽に会い,彼らの話を大きく頷きながら瞑目して傾聴する。そんな真摯な姿が,若者の心を捉え,「西郷さんのためなら死んでもいい。」とまで言わしめた。
大塩平八郎
西郷の対極に位置するのが,大塩平八郎である。彼はスパルタ教育を実践した。規則違反をする弟子を平然と殴りつけていた。現代ならば直ちに懲戒免職になってしまうが,平八郎は身体の痛みを伴わなければ人は矯正できないと信じていた。体罰教師でありながら,門弟が絶えることがなかったのは,平八郎がとにかく自身に厳しく,病を抱えながらも町奉行の与力と塾の教師を真剣に務める姿に,若者たちが強く惹きつけられたからだろう。
福沢諭吉
彼は上野戦争で大砲が飛び交う中でも教鞭を執った人だ。諭吉は,日本列島が列強諸国の植民地に転落しないためには,まず国民に独立自尊の精神を持たせ,それによって国家独立の気配を育てようとして後輩の育成にも当たっていた。
岩崎弥太郎
今まで述べた人物の精神性の育成とは違い,経済という具体的な企業の中で生きてきたのが三菱財閥を興した実業家・岩崎弥太郎だ。弥太郎は今の即戦力ばかりを欲しがる企業とは違い,大金をつぎ込んで社員育成を行った。また,子供たちに留学を経験させるなど世界的な視点をもった人でもあった。
吉田松陰
彼の言葉に,「至誠にして動かざる者は,いまだこれにあらざるなり」というものがある。「誠意を持って対すれば,動かない人はいない」という意味なのだが,生徒たちを指導する上で著者自身も肝に銘じている言葉である。
生徒は必ずしも教師の言うことを素直に聞いてくれる子ばかりではない。
松蔭は周知のように,松下村塾で多くの志士や明治の元勲を育て上げて来ました。ただ,実際に松蔭が教育にたずさわったのはわずか2年。これは,教育というものが施設の良し悪しではなく,かけた時間でもないことを明瞭に物語っている。松蔭は弟子をじっくり観察してその長所を発見し,それを本人に告げて励ます方針をとっていた。自分ではなかなか己の長所は見つけにくいのを知った上で,それを自覚させて伸ばしていくのが彼のやり方だった。
維新のリーダー―人を動かし、育てる力 (光文社知恵の森文庫)

著者の河合 敦さんは自身が高校教師としてどのようにあるべきか,また教職を志している人はどのようにしていけばよいかを話している。
生徒が授業を理解できるかどうかというのは,教師の力量次第だと思う。どんなに勉強ができない生徒や嫌いな生徒であっても,教え方次第で授業に興味を持ってもらうことができます。
ですから,生徒を引き付けられるよう授業に工夫は欠かせられません。
今の社会の動きだとか,生徒が興味を持つテレビ番組だとかファッションなどを歴史の事象などと関連づけるとか,自身もアンテナを張っていろいろなことに興味を持つように心がけています。
教師は人間を相手にする仕事ですから,人の気持ちや考え方を知るうえで様々な体験を積み,豊かな人間性を養うことは必要不可欠のように感じます。
吉田松陰が多くの志士を育てることが出来たのも,若いころから日本中を旅していろいろな人に会って教えを請うという経験をしていたからこそです。
専門性を身に付けるのは教師になってからでも遅くはありませんから,大学時代は旅行をしたり,たくさんの人に会ったりと様々な経験をすることで,視野を広げ人間性を高めて欲しいですね。