起業家セミナーと飲み会と涙と独身女性③ | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

先輩方を囲んでの飲み会は,



勉強になった。



女王様にとって,実はこれが一番為になった。心底そう言える。



だから,教職員の飲み会は,「お勉強会」です。



女王様のクラスでなく,3年生のとあるクラスに講話をしに行った先輩とお話した。



この方をIさんとする。



Iさんは,高校時代は全然学校に行かなかった問題児だったと教えてくれた。



1年より2年次,2年次より3年次と,欠席数はほぼ倍数に多くなったそうだ。



そう,登校拒否児。



しかも,学校に行かないで夜は暴走族に入って活動していたそうだ。



その当時は,教師にとって扱いにくい筋金入りの悪だったかもしれない。



しかし,



Iさんの話はすごく良かった。



Iさんの隣の先輩が,



こういった同窓会の集りに出てこれる奴は,ある程度社会で成功している奴だ。

学生時代に,元気一杯にやんちゃしていた奴とか,こいつのような登校拒否児だと言われていた。



さらりと嫌味なく言うし,気の置ける仲間だから許せるのか,Iさん自ら頷いていた。「そう,そう」と。



これは置いておいて,



Iさんが3年生のクラスに行ったとき,



学校の先生になりたいという生徒が一人いて,



Iさんが好きだった小学校の先生の話をしたそうだ。(なぜだか高校でない)



(Iさんの話)



僕の両親は,飲食店を経営していて,とても繁盛していたのだが,2号店を出店したら傾き始めて倒産した。それが,小学校の5年生のときだった。



朝から晩まで借金取りが家にやって来て,家の奥に両親はいたのだが,借金取りに誰もいないと,帰って欲しいと言ってくれと言われ,玄関の前に行かされた。



最初は,そんなに頻繁にはなかっのだが,何人もの借金取りが,朝の7時から夜中まで家に来て,その度に自分が玄関で対応しなければならなかった。

登校時には4つ下の妹も守らなければならなかった。



ある日,借金取りに会うのが嫌で,家を早めに出て,7時には学校に着くようにした。もちろん妹を連れて。



子供でも容赦なく怒号をあびせたり,両親も僕を盾にして隠れて守ってくれなかった。だから,子供の頃の僕は大人が信じられなかったよ。



大人が大嫌いだった。



その時,担任だった先生が,僕があんまり早くに学校に来るものだから,毎日その時間帯には学校の鍵を開けて,教室で待っていてくれた。



ある朝,いつもどおりに教室に入ると,僕は堪えきれずに先生を見るなり泣き出した。声を上げて泣き出したんだ。



そうしたら先生が,



「ごめんな。先生は何も出来なくて本当にごめんな。」って一緒になって泣いてくれた。



実際,先生はその当時の僕の家の事を知っていてくれた。



僕はこの先生が今でも大好きだよ。



そういう先生に君はなって欲しいと思う。っとその3年生に伝えた。



先日,同窓会でその恩師を囲んで話をすることがあり,「君が立派に育ってくれて嬉しい。ありがとう。」と言われたと語っていた。



この話を聞きながら,



私の方が感極まって涙が溢れて止まらなかった。


その後,



Iさんが,

究極は,学校の先生なんて教科を教えるとかそんな事はどうでもいいんだよ。ただ子供達の気持ちを受け止めて,一緒に考え寄り添ってくれるだけでいいんだ。教科云々より,そっちの方が大事だと言われた。



女王様の僕達だって,

Iさんのような経験をしている人が居るかもしれないと思うと,大事にしないといけないと強く深く感じないわけにはいられない。



Iさんはすごく明るくて活発な感じに見えた。他人には隠しておきたいような出来事,すなわち,闇の部分をあえて他人に示すことによって,本当に大事な事は何かを知るきっかけをくれた。



この子供達の先輩の率直な話は,どの教員よりも為になる。



世の中が厳しく,大変な中,わざわざ来てくださった先輩方に心から感謝している。



それから,



小学校の先生方は,大変な使命を持たれて仕事をしていることに改めて気付かされた。



文部科学省のあらゆる政策が,こういった子供達の心を荒ませ,居場所を奪うようなことにならないようにしてほしい。



現場から励ましの言葉を奪わないようにしてほしい。

支えが必要な子供達に,寄り添ってあげて欲しい。



少なくとも,私は,そういう支えになれるように努力をしていこうと決意した飲み会だった。