[日本の英語教育は問題だらけ」
2011年より小学校で英語が必修となりますが,そもそも日本の英語教育自体多くの問題を抱えているのをどこまで国が把握をしているのでしょうか?
現場にいる教員が一番それを感じているのに,その声は国には届いていないようです。
中学校・高等学校・大学での英語教育が上手くいっていないから,年齢を下げ,英語教育を始めようとするのは間違っていますし,海外から,日本の小学校教育は優れていると言われているのにもかかわらず,このままですと,国際的にも小学校教育まで批判の元になりかねません。
学校での外国語教育は課題が山ほどあり,まずこちらの方を片づけていくのが先手ではないでしょうか。
また,社会人で本当に仕事上英語を必要とし,身銭を切って勉強をしていた人達に対して,国はなんの手立てもしません。英語が日常生活で使われていない日本において,業界トップのシェアーであった某大手の英語学校(昨年破綻)が,民間から多くの英語のネイティブ(英語を母国語とする人)を世界中から呼んで,身近にそのような場を提供していてくれていたことに対して,国は恩恵を感じ,後悔などしていないように思います。国に同じような場を提供してもらえる余裕があるのでしょうか?
小学校英語よりも,現在本当に英語を必要としている人達に,駅前や自宅で,また地方や都心の格差なく,場所を選ばすに生の英語を学ぶ場を提供して欲しいです。国はそちらのほうに予算をあてがうべきです。その方が日本国民の英語力がつくのではないかと考えます。
今の経済界の,日本国民に対する英語能力の要求に応えるには,忙しく限られた時間の中で英語力をつけることが要求されます。その場をまず提供して欲しいです。
小学校英語で利用されそうになっているのは子供たちばかりではありません。小学校の先生方はどこで英語力を身につけるのですか?誰がその場を継続的に提供するのでしょうか?現場には,そのような先生方を利用し,自分の名をあげ,金儲けしようと躍起になっている人達もいることを国はどこまで知っているのでしょうか?
言語能力を身につけ,維持するには相当な意識を持って取り組まないと不可能です。
今から勉強を始めようとする人たちは尚更だと感じます。
私自身,英語の教員ですが,生徒達に良いものを提供するために,日々勉強しています。言語を教え続けるには,勉強し続けなければならないと感じています。極端かもしれませんが,実際,英語のネイティブの外国人と結婚したり,英語しか話せない友人を作るなどして英語を話している場に自分の身を置かない限り,言語能力の向上は不可能です。
そのようなことを国は要求しているのでしょうか?日本人の人間関係までおかしくなってしまいます。
挨拶程度の外国語なら,今まででも学校教育でやってきたのではないでしょうか? その程度のものは誰でもできます。
日本国民が日本語でなく,英語を話すようにならない限り,英語を日本語と同じように使える人間を作るのは不可能です。
不安定で,余裕のない日本国の政治の状況の中で,さまざまな教育改革を強行に進めるのは非常に危険だと感じます。
どうしてバブルの時代にこのような話が出てこなかったのかと本当に感じています。国民の間に,言語にすら格差が生まれてしまうのなら,これからどのようにして私達はお互いを励ましあって生きていけるというのでしょうか。
国が大変なことをしようとしていることを誰が気づき止められるのでしょうか?誰がこの国の行く末をわかっているのでしょうか?国が英語を話せと強要するのは,暗に私達に日本は駄目な国だから,英語圏にでも移住したほうが良いと言っているようなものです。