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INDEADRUM

ぐずらもずら

・目が回る。ぐるぐるぐる。


・あんなにいろんなことを書いていたのに、書かなくなっていたことを反省し、ただの記録としてあらためて書き記そうとおもい、最近まいにち書こうとしているが、このざま。


・まいにち書くという行為は、まいにち音楽をするということに似ていて、そのこと自体が、根っこを太くさせることにつながってゆく


・以前は、見てくれる人、伝えたいことを伝えるために書いていたが、いまは、自分のために書いている。


・だったら、昔のように、手書きでノートに書けばよいだろ、そのほうが、書くという行為に近いし、文字が生き生きとしてくるだろ、そうおもいつつ、保存できる、印刷できるという便利さに負けてしまった感もある


・また数年したら、書き記すことをノートに戻すかもしれない


・日々、変わってゆく。秒刻みで変化していく。


・同じ瞬間など、ひとつとてない。


・だから今を大切にとか、おもいっきり生きようとか、そんな安っぽい言葉じゃなく。同じ瞬間がひとつとないのだから、さらにさらに淡々と生きるということ。


・戦争に突き進もうとしてそういう法律を作っていること自体をテレビやメディアで知らされないこの国は、もはや一部の奴隷になりさがっている。


・それでも、テレビやメディアで闘っている人たちもいる。それを知っている。自分はきっとそこまでできないから、淡々と、信じていることを日々やっていくしかない。

・4月29日

久しぶりに吹上高原にキャンプに行った。家族みんながゆったりとした時間を過ごせ、おおいに楽しめた。

翌日早朝から雨予報ということで、夜9時ころ、家に戻り「いがったね~」と1日を振り返っているとき、訃報が届く。

近所の若い衆だった。キャンプ中に何度も聞こえてきたサイレンの音は、彼を救出するためのものだった。

驚き、ショックを受けた。穏やかで誰とでも和やかに接することができる青年だし、みんなが彼を必要としているように感じていた。

かまくらの中で日本酒を飲んだとき、いろんな話しをして盛り上がったのを思い出した。信じられなかった。奥さんも、間接的に知っていて、残された家族を思うと、いたたまれなかった。連休中は、この想いが常に頭の中を駆け巡っていた。

 

・4月30日~5月2日

遅れに遅れていた農作業を一気にこなしながら、ずっとできなかった家の整理などをして過ごす。

亡くなった彼が、なんで逝ってしまったのか、などということをずっと考えていた。

東日本大震災のときも、生きる必要がある人間が死んでしまって、俺みたいなさっさと死んだほうがよい人間を、なぜ、神様は選ばないのかと本気で思っていたが、今回もそう思った。幸せそうで、未来ある家庭。突然崩れ去るもの。永遠はないというが、それは本当だし、自分の奥さんが言っていたとおり「人は簡単に死ぬ」。同じような境遇を体験しているだけに、その想いは以前から強い。そのとおりだと思う。

 

・5月3日

仙台バードランドにてライブ。細かいことは抜きにして、おおかたよかったんじゃないかとおもう。修正せねばならないところは多々あるが、面白かったし、楽しかった。そう感じられたことが、本音でしょう。久しぶりに会う顔、顔、顔。そして、いつものメンツに素晴らしい音楽。本当に最高の1日だった。こーゆー乾杯も、笑い合うことも、彼にはもうできないんだろな、とか、そんなこんながやっぱり頭から離れない。

 

・5月5日、6日

通夜、葬儀。1番悲しみにくれているにも関わらず、凜として、最後まで立派だった。言葉の一つひとつに、胸が締め付けられる思いで、涙を堪えるのに必死だった。これからだろう、じわじわと辛くなるのは。現実を直視しなければいけないのは。何もできやしないけど、できることがあれば、精一杯、力を貸してあげたい。

本当になんでもできる子だった。鬼首を愛していた。俺にもそれは伝わってきたし、嬉しかった。

ブログのネタにしているわけではない。自分のために、忘れてしまわぬように、ここに記しておきたいと思った。

葬儀の一切が終われば、形式的なものは終わるけれど、ここから先の道のほうがはるかに長い。

残された人生を歩む者たちの気持ちはいかばかりか。最後の一小節だけ、言葉が浮かばない。

 

町並みと喧騒が落ち着く

静寂の早朝に朝日が昇る


この街で、何度も同じ夢をみた


いつしかその夢は見なくなったが


ときおり思い出すあのころの詩


ジェリーガルシアとボブディランが、夜の闇で笑っていたのに


静かにあけると、何もかもが終わったあとだった


まるですべて嘘のよう


ほんとにあったのかなかったのか


冗談みたいな旅すがら


何度も同じ想いを抱く


先の見えない行く末に


何も感じず過ぎ去る日々


ただの風のように 流れる水のように


たゆたうモノのなかで


大切なときを抱きしめる


ぬかるんだ道にはまりながら


泥だらけで笑って生きる


こんなところに地下鉄の駅


あぁそうか。20年前の話しだ。


開発に飲み込まれる


人も町もついていけないスピードを、なぜ追い求めるのだろう


限界を迎えたら、そこから降りればよい


また今日のような朝を迎えられたら


幾度となくやり直せるだろう


無駄なことなどひとつもない


人の選択を笑うことなどできない


あのときの匂いと景色を思い浮かべたら、もうすぐ夏だ