振り返らず | INDEADRUM

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ぐずらもずら

とも、自分がたどってきた道は自分が1番よくわかる。

足りなかったもの、届かなかったもの、叶えられたもの、手をとりあって喜んだもの、悲しみをのりこえられなかったもの、そして、今ここにある、確かなもの。

人を蹴落としてまで生きようとする思想はなぜ生まれるのか。

「人よりよく見られたい」「誰かと私はちがう」

汚いかっこうをしていても心が美しい人と、着飾って華麗には見えるが腹ん中が真っ黒な人。

人間、生まれたときは誰しもが同じだとしたら、生きていく過程で違いが生まれてくるのだろうか。

障がいを持っている人は、どこかでハンデを負っているが、何かのジャンルで突出した才能を持っていることがあるし、表裏のない心の美しさがある。

幼いころ、障がいを持っている人を見下し、馬鹿にしていた俺のほうが、妬み、恨み、欲望が渦巻くよっぽど汚い人間であり、恥ずべき男だ。

実際に、障がいのある方との接し方は、今でもわからない。どこかで、一線をひいている俺がいる。だけど、彼らは臆することなくまっすぐな目で接してくれる。

そんな自分が、とても恥ずかしく感じるときがある。

人間は、みんなおんなじじゃない。だけど、ある意味みんなおんなじじゃないだろうか。

地位も名誉も関係なく、みんな楽しく和気あいあいと生きたいよね。

最低限の礼儀をわきまえて。

自分が敬語を使いたくなったり、敬う人は、みずからそう思ってやっているから、いづくもなんともない。

話して、関わって、その人物の偉大さがわかれば、自ずと敬意を表することができるんだと俺は思う。

相も変わらず話しがまとまらないが、あえてまとめないで解き放つ。

俺の友人に理容師でスノーボードが好きな男がいて、彼がお店のスタッフを連れて地元のスキー場に滑りに行ったという話しを聞いた。

それを聞いて、すごい嬉しかった。ひとつは、地元に人を呼び込むという行為。これもれっきとしたアクションであり、規模は小さいが地元を活性化させる行動であると思う。

もうひとつは、彼の店のスタッフがスノーボードにはまり、一式を買いそろえたということ。

スノーボードという素晴らしい「遊び」の楽しさを伝えるのに、彼は一役かったのだ。何も、大きなイベントをするだけが、広げつなげる手段じゃない。

草の根的な地道な活動が実を結ぶと今でも俺は信じているよ。

よくウインタースポーツは金持ちがやるものだと言う人がいるが、それは間違っていて、むしろその逆だ。

スノーボードは野球やサッカーのような認知度もなく、いくら本気でやっていても周りには道楽と思われる。

春夏秋に必死で働きお金をためて、プロやムービースター、あるいは自分の表現のために、ひと冬にかける男や女たち。

努力に見合う報酬を受けとれる者など、ほとんどいない。

現実にうちひしがれやめる人たちもいる。

では、なぜ続けるのか。表現をやめないのか。

理由は単純明快。楽しいからですよ。続けたがるのに理由などいらない。「楽しい」「気持ちいー」それだけ感じられたなら十分だ。

お金じゃないんだ。表現というのは。音楽も同じ。そりゃあ好きなことで生計たてられれば、それに越したことはないけど、そこじゃないんだ。これは本気でほんとに。

なけなしの金で道具をそろえ、山にいき、自分の理想の滑りを追求するハングリーな雪板戦士を、チャラチャラした若者くらいにしか思っていない人への警告。

少なくとも、俺の周りには本気のやつしかいない。

今のように音楽をやる側として楽しさを覚えバンド優先に考える前までは、スノーボードにはまってた。

大分回数は減ったが今でも山に上がるし、鬼のように滑り続けた男の一人として誤解されてるであろうスノーボードに対する想いを語らせていただきますた。

というわけで、本日は終了です(笑)おわります。