転がるお前に『苔』は生えない

The Techniques
「Little Did You Know」 Treasure Isle  196X

Playlist :
The Techniques - Little Did You Know
Baba Brooks - Twilight Zone
The Techniques - When You Are Wrong
The Techniques - Please Say You Are Mine
The Techniques - I Wish It Would Rain
The Techniques - My Whole Life Depends On You
The Techniques - Queen Majesty
Lyn Taitt & The Baba Brooks Band - Magnificent Ska
The Techniques - I Am In Love
The Baba Brooks Band - Gun Fever
The Techniques - You Don't Know
The Baba Brooks Band - Dog War Jump Up

Producer : Duke Reid
Arranger : Baba Brooks

Recording Engineer : Al Iton

Vocals : The Techniques


ウィンストン・ライリーによって結成されたテクニークスは、

スカ~ロック・ステディ期に大きな足跡を残したコーラス・グループだ。

65年、スカも終わりを告げようかという時期に

ストレンジャー・コールの仲立ちで<トレジャー・アイル>レーベルからデビュー。

当時のリード・シンガー、スリム・スミスのファルセット・ヴォイスと

分厚いホーン・セクションの織りなすキラー・サウンドで

「Don't Leave Me」「'Little Did You Know」といったヒットを生んだ。

しかし、スミスがソロに転向するためグループを脱退、

かわりにリード・シンガーに抜擢されたのがパット・ケリーだ。



時は67年。いよいよロック・ステディの時代が到来すると、

彼らはカーティス・メイフィールドそっくりのケリーのヴォーカルに加え、

インプレッションズに代表されるシカゴ・ソウルを模倣した完璧なハーモニー・ワークで

瞬く間に時代の寵児となり、インプレッションズのカヴァー「Queen Majesty」、

テンプテーションズのカヴァー「I Wish It Would Rain」、「I'm In The Mood」など、

グループの代名詞的ヒット・シングルを連発。

当時名実ともにNo.1を誇っていた<スタジオ・ワン>レーベルの地位を脅かすほど

彼らの人気とセールスは凄まじい勢いであった。

68年にはライリーが自らのレーベル<テクニークス>を設立し、

さまざまなアーティストのプロデュース活動を開始。

コーラス・グループとしての活動と反比例するように、

レーベルは成功の一途を辿り、80年代の最重要レーベルへと成長した。



90年代には再びパット・ケリーをリードに迎え一時的な再結成が実現し、

日本でもライヴを敢行。20年以上の時を経て、なお変わることのない艶やかなヴォーカルを披露してくれた。




この盤の話を作るに当たってデータを大雑把にまとめ、下書き保存しておいた日も、

記事として手直しして公開した日も、全然違うけど、


3/5の日記です


そんな話


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Slim Smith

Victors Youth というバンドで卓越した歌唱力を発揮していたスミスはその後、

Techniques のリードボーカルとしてDuke ReidのTreasure Isle で'

I Am In Love’や'Little Did You Know’を始め、いくつものヒット曲を発表した。

同グループを脱退後、カナダ滞在を経てPrince Buster

Coxsone DoddのStudio One で録音を開始する。

コクソンがプロデュースした'I’ve Got Your Number’、'Rougher Yet’、'Never Let Go’等を収録した

アルバム、'Born To Love’は彼の才能を全て引き出したと言っても過言ではない名作である。

また'Never Let Go’は80年代以降のダンスホール・シーンでAnswerリズムとして重宝されるようになる


67年にはJimmy RileyLloyd Charmers と共にUniques を結成し、

主にBunny Leeの下で活躍した。

ユニークス脱退後もソロとしてバニー・リーの下に残ったスミスは

名アルバム、'Everybody Needs Love’を発表するが、

精神的な病が原因で病院に隔離されたスミスは73年、自ら命を絶ってしまう。



天賦の才能を与えられたシンガー……スリム・スミスを形容するのに、これほどピッタリな言葉はない。

当時のジャマイカではアメリカンR&Bが絶大な人気を誇っており、

中でも地元ミュージシャンの憧れといえば、インプレッションズを率いていたカーティス・メイフィールドだった。

そこで、スカ~ロック・ステディ期のジャマイカでは、カーティスを意識したシンガーが量産されるわけだが、

スリム・スミスのファルセット・ヴォイスは目をつむって聴いていれば

カーティス本人と聞き違えるほど群を抜いたものだった。


10代という若さで、コーラス・グループ「ザ・テクニークス」のリード・ヴォーカルとして数々のヒットを連発。

好んでインプレッションズのカヴァーをプレイしていた。

後にソロ・シンガーに転向。

自信がみなぎるヴォーカルには、歓喜と苦悩が同時に存在し、珠玉の名作を生んでいる。

ソロと平行してロック・ステディ・コーラス・グループ「ユニークス」にも参加し、

ゴスペル・フレイヴァーの甘いラヴ・ソングを残した。

70年代には市民権獲得運動へのオマージュを綴った「Stand Up and Fight」といった

政治的関心を歌に反映するようになるが、

それはレコード売り上げのほとんどをプロデューサーが搾取するという、

当時の音楽業界の劣悪な状況が背景にあったためだ。

スリムをはじめボブ・マーリィほどの大スターも含めて多くのミュージシャンは、

この状況を打破しようと奮起するが、これが改善されたのはずっと後になってからのこと。

そして73年、「その時が来た」というフレーズが印象的なシングル「The Time Has Come」を

レコーディングした直後、自らの手をガラス窓に打ち付け、

命を絶つ。

スリム・スミス25歳、

天才シンガーのあまりにも早すぎる最期であった。



彼個人名義のアルバムは持っていないのが残念です。

持ってはいませんが、日を改めて

↓この下に、いくつか紹介したいと思います↓