自分にサッカーのセンスがあるか

どうかと考えていた時がありました。

 

 高校に入ったときの部活を選ぶとき

に、友達がよく「センス」の話をしていた

からです。

 

 今になって思うと、この時の「センス」

は、生まれ持っている才能のことを

いっていたと思います。

 

 なんでも一流の人は、生まれもっての

「センス」をもっているから、なれると

思っていました。

 それも確かに必要なことではあると

思います。

 

 ただ、今はやめていますがJリーグ

の元選手が知り合いにいますが、その

人にきくと私が思う以上に、子供のころ

から練習をしていて、学校の授業よりも

サッカーを考えていたし、練習をしていた

と聞きます。

 

 そしてプロになってからも、人一倍練習

をしないとおいていかれていくようなこと

もあるそうです。

 

 生まれ持った体の強さとか、大きさとか

以外でこの「センス」というのが関係して

来るのか考えさせられます。

 

 そこまでの練習をこなしていれば、どん

な人もそこそこ行けそうです。

 

 プロスポーツの世界以外でも、普通の

仕事でも言えることと思います。

 

 営業職でも職人でも、または事務職

でも。

 

 電話の応対からデータ管理の人まで。

 

「センス」とは、生まれ持ってきた「才能」と

いうより、それぞれの環境で磨かれてきた

物のと感じます。

 

 それは、頭のいい人も何も知らない世界

に入ったらまるっきりの新人ですし、ある

業種でずば抜けた成績がある人も、知らない

世界ではその成績は出せません。当たり前

です。

 

 「センス」とは、磨いていくものだということ

です。そして、その磨き方とは、その道の知識を

学ぶことと携わっている人を良く観察すること

に始まるのだと思います。

 

 そしていいものよくないものを理解して、

それを自分の考えで出せるかどうか。

 

 ファッションセンスも何かの「テーマ」があり、

そのテーマにあったコーディネートができる

かどうか。

 

 フォーマルな会合に、カジュアルな服装

はよくないですし、早朝の釣りに行くのに

かっちりしたスーツも合いません。

 

 なので、スポーツ選手の「センス」も

生まれ持った体格などの大きな違いは

あるにしても、必ずしも生まれ持った

「才能」だけでは決まらないということ。

 

 絵の才能がないという人がいましたが、

子供の絵の教室で配られる教材を

こどもと一緒に数か月間、一緒にやって

いたら、「絵を描く」ことに抵抗があった

のに、それもなくなり自分から絵を描く

ことを始め、家じゅうに自分の「絵」を

張るまでになった人もいます。

 

 頭ごなしに「才能」がないからと言って、

やらないことも多くあると思います。

 好きなことでないと「継続」できないため、

当然「センス」は磨かれません。

 

 生まれ持った「才能」はそれぞれある

と思います。これは間違いなくあると

思います。

 

 しかし、その才能を生かせるかという

ことは、環境によって変わってくるので

難しいことです。

 

 先の絵の苦手であった女性ですが、

その方の絵を見せていただきましたが、

私が見た時点では、「絵の才能」がある

ようには見えません。

 

 しかし、子供と一緒に続けていること

で、しかも講習も子供と一緒に受けて

いるので勉強もしていますので、この

方の「センス」は磨かれているということ

です。

 

 頭ごなしに「センスない」とか「才能ない」

って決めつけてしまっていることが多い

なと思ったので、書いてみました。

 

 「センス」を磨くことの大きな意味を

忘れずにいたいです。

 

 

 ありがとうございました。