私が性に目覚めたのは小学校五年頃だろうか。それまでも、僕は男性よりも女性が好きだった。男性は見た目も怖く、怒鳴ったり、暴力を振るったりするからだろう。それに、男性は声が大きく、言葉遣いも荒い人が多いと感じたからだろうか。その反面、女性はあたりが柔らかく、優しい人が多かった。それから、何と言っても僕の身の回りの世話をしてくれるのは全部女性だった。お風呂にも入れてくれたし、小学校の三年ごろまではオシッコにも連れて行ってくれたものだ。オシッコが終わった後、ゆきちゃんは僕のオチンチンを優しく手に取り、何度かソレを振ってくれた。排尿した後、オチンチンを振ると必ず少しの量の尿の雫が垂れる。もちろん、今でもそれは変わらない。今の僕の肉根はすでに色の白い無垢な小指の長さにも満たないオチンチンではない。今の僕の肉根は幾人かの女壺を数え切れないほどの回数貫いて来た老練な肉槍で、色も浅黒く、赤銅色に近い。もうすでに中年期を過ぎた今、亀頭部には沢山のシミが見られ、男根の竿の部分の皮も皺が目立って来た。しかし、20代の頃のやんちゃさこそはないが、まだまだ男の匂いを放つ嫌らしい欲望の塊だ。青年時の猛々しく突出した肉根ではもうすでにないが、見た感じ、却って今の方が卑猥かも知れない。
小学校の頃の話に戻ろう。四年生の頃だったが、私は近所の教会が主宰するカブスカウトに入隊していた。その隊のスカウト・マスターは40代半ばを過ぎたあたりのカトリックの修道士だった。カトリックの修道士は貞潔の清貧・服従・貞潔の誓いを掲げている。つまり、修道士になった以上は男女の交わりはもちろんのこと、自慰行為を含め、全ての性的行為は禁じられている。
ある夏、僕の育った関西地方にある湖の湖畔でキャンプが開催され、私もそれに参加させられた。私は参加するのに気があまり進まなかったが、母親がどうしても行けという。後で分かったことだが、母親に僕のいない時間が欲しかったのだ。キャンプの三日目だったと思うが、昼過ぎあたりから大雨が降り出した。私は、同年代の子と比べたら、かなり小柄でおとなしい控えめな子供だった。大雨の中、突然スカウト・マスターが僕が入っていたテントに突入して来た。そして私に「風邪をひくから、裸になれ」と大声で命令した。ズボン、下着を脱ぐのも手伝ってくれた。そして私の下半身を大人の男の強い力で拭き始めた。そして、僕の体全体を、特にオチンチンを念入りに愛おしそうに拭いた。その行為にかなりの時間をかけた。私はその分大事にされているのかと思った。何故なら、社交好きの父親はそのスカウト・マスターと懇意にしていて、頼まれて父は我がカブスカウト隊の募金活動の先導者となっていた。だから、スカウト・マスターが私に優しくお世話をしてくれるのは当然のことと考えた。私は何にも知らず、何にも感じなかった。ただ、その拭いている時に、時折オチンチンの袋の方に痛みを覚えた。
後からそのカブスカウト隊、教会、学校で問題になったのだが、その修道士のスカウト・マスターは小児愛者だったのだ。小児愛の精神医学上の概念としては、精神病理に対し深い識見を備えていたウィーン大学教授リヒャルト・フォン・クラフト=エビングが、著書Psychopathia Sexualis(性的精神病理,1886年)において最初に提唱したとされる。