76. 続・水道の復活 | 憂さ憂さうさぎ

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

3月30日。

管理人を呼ぼうとエレベーターへ乗り込み、目的の人物とばったり

遭遇。

水道業者も一緒だった。

何でも、自分が住んでいる家の真下に位置する家で水漏れがあったとの事。

一応、自分の家からの水漏れではない事を確認しに来るところだったという。

そこで ”湯” の蛇口をひねっても、何も出てこない事を伝える。

原因を確かめると、温水器へ水をひく側のバルブがちゃんと開けられて

いなかった。

業者の人は、「こちらの初歩的ミスです。」と平謝りである。

『いやいや、そこまで責めてる訳じゃないし。』

とにかく、どうにか今日からシャワーを浴びる事が出来そうだ。

夜になって、湯が出る事を確認。

蛇口から水や湯が出てくる事が、こんなにも新鮮に感じるなんて。

珍しい事を眺めてわくわくしているかのような自分。

もう、バケツで水を汲みに行かなくても良いのだ。

テレビでは、仙台の下水処理場がすっかり使えなくなってしまって

いるとの事。復旧には数年かかるらしい。

道路のマンホールから、汚水が溢れ出ているのが画面に映る。

節水を心がけるようにと言っている。

それから、トイレットペーパーも出来るだけ流さないようにとの事だった。

約3週間ぶりのシャワー。

汚水が溢れ出るマンホールを思い出すと、思いっきりシャワーを堪能

という気分にはなれない。

しかし今は、”かなりきったない” 自分を洗いたい。

『下水道下流の地域に住んでいる皆様、本当に申し訳ありません。』

出来るだけ水を垂れ流さないように心がけながらも、臭い自分をきれいに

洗うには、それなりの湯量が必要だった。

今自分が使った湯が、マンホールの穴から溢れる事がないようにと、

心の中で祈りながらも、水道施設の偉大さに感謝するのであった。