八幡平・小岩井牧場・栗駒山~ 松尾鉱山編 ~ | こむ's 雑記帳

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日常の事をグダグダ綴った雑記帳 本当のところは備忘録だったりする。。。

ある日フラフラとネットサーフィンしていて、これについて触れられているHPを見て「自分も直に見てみたい!!」と思ったのが事の始まり。
何というか、哀愁というか昭和の良い雰囲気というかなんかそんな物を感じた。

写真下に見える池は、中和処理時に生成されるヘドロをためておく池だそう。
※これについては後で説明。

松尾鉱山社員宿舎跡全景

東北自動車道と八幡平を繋ぐ「八幡平アスピーテライン」と言う道路を走っていくと、途中に写真のような看板が現れ左に道路が現れる。
この道路を奥まで進んでいくと「旧松尾鉱山新中和処理施設」がある。

旧松尾鉱山新中和処理施設入口

その道路の途中右側に、松尾鉱山社員宿舎跡がある。
当時は「雲上の楽園」と例えられとても栄えていたところだそうで、会社の福利厚生の一環として建てられ学校や映画館など色々あったそう。

建物は全部で11棟ある。
今では、周りにすすきが生えて近づく事さえままならない。

松尾鉱山社員宿舎跡1


松尾鉱山社員宿舎跡2


松尾鉱山社員宿舎跡3

さすがに平日の早朝という事もあり、誰一人として居なかった。
俺は知らなかったけど、後で調べたら心霊スポットとして結構有名な場所らしくテレビでも紹介されたらしい。
...と言っても、そう言うの信じないし、心霊スポット巡りのつもりで行った訳ではないので関係ないけど・・・。
思ったのは、幽霊とかそんなのより人にあったら怖いなぁ、って事。
幸い(?)逢わずにすんだ。

松尾鉱山社員宿舎跡4


松尾鉱山社員宿舎跡5


松尾鉱山社員宿舎跡6

下の写真は、セントラルヒーティングのボイラー室とそこから延びる煙突。
この地方は、冬になると気温がだいぶ下がったようで社員宿舎は暖房完備だったらしい。
ちなみに、松尾鉱山は昭和44年に閉山して、それと共にここも人が住まなくなったらしいが、
それを考えると何かとても社員の方は厚遇されていたのかな?と思う。

ボイラーの煙突


セントラルヒーティングのボイラー室

右写真は、「旧松尾鉱山新中和処理施設」へと続く道路沿いに建ってた。
独身寮だそう。

中には入らなかったけど、写真で見てもわかるとおり部屋の中に木が生えてる。
きっと中は雑草が生い茂って居るんだと思う。
下の写真は先ほどの集落の建物を近くで撮った物。
今では窓もなく廃墟と化してたが、かつてはとても栄えていたと思うと少し寂しい気もするね。

独身寮


松尾鉱山社員宿舎跡近影1


松尾鉱山社員宿舎跡近影2

体育館とグラウンド。
体育館は、説明が無くても「体育館」って感じがする。^^;
グラウンドはおそらくラグビーのポールか雑草の生い茂る中寂しげに建ってた。

昔はきっと、ここを子供達が元気よく走り回っていたんだろうなぁ・・・。

体育館


グラウンド

学校。
入り口は奥の方にある。

宿舎跡に比べるとだいぶ綺麗。
校舎の写真右側にグラウンドがある。

学校近影1


体育館


学校近影2

学校入り口。
本当は、中に入って撮影したかったけど、
入り口の床の所からビッシリとBB弾が落ちていて奥の壁には落書きまでされてた。
何か、それを見た瞬間気分が萎えてしまったので中の撮影はしてない。
その当時の雰囲気というか、そう言うのを撮影したかったので・・・。
ちなみに、位置的に入り口をまっすぐ行くと体育館、左に行くと校舎になってる。

学校入口

社員宿舎内部を見に行こうと歩いている途中で見つけた。
この沼も、昔は汚れていたらしい。
見た感じ今はとても綺麗な水に見える。

社員宿舎跡近くにある沼

さて、いよいよ内部。

ちなみに言うと、表向き立入禁止になっているよう。
軽はずみに見たいからと、中に入って撮影とかしたのは反省してる。
でも、やっぱり見られて良かったと思っても居る。

右の写真は、全景に写っていた一番左下の建物の左端から撮った通路。
これを撮った時正直怖かった。
誰か居るんじゃないかって。。。(人がね)

社員宿舎跡内部1

上の階へと続く階段。

今となってはボロボロ。
雰囲気としては、近所にあるちょっと古い公団とかってこんな階段だよなぁ・・・。

社員宿舎跡内部2

右写真は、中央入口にあった大きな階段。
これを上り詰めると左右に浴室が現れる。
おそらく共同風呂だったんじゃないかと思われる。
下2枚の写真は、その階段の途中で左右の通路を撮った物。
なので、全景に映っている8棟並んだ所の上の段の中央2棟になると思う。

社員宿舎跡内部3


社員宿舎跡内部4


社員宿舎跡内部5

とある1室。

なぜか、部屋の真ん中に和式便器が落ちてた。
ちなみに、当時としては珍しく山の上にあるにもかかわらず水洗式だったそう。

社員宿舎跡内部6

さて、跡地から少し離れて鉱山はどうだったのか。
そう思ったけど、正直よくわからなかった。

途中で、下の写真の立札を見つけた。
その近辺は、右下の写真のように一面すすきが生えてた。
高山植物なども生えていた。
昔はもっと酷かったのかな?
ここから少し離れたところにスキー場があった。

立札


見渡す限りすすき

近くを流れていた川。
写真だとこんな感じだけど、実際はもっと赤茶掛かってた。
と言っても、水自体は綺麗な透明だったが川底というか石とかが赤茶げてた。
閉山して30年以上経ってるが、今でも有害物質がわき出ているそう。

近くを流れている川

前述にもあるとおり、今もなお強酸性の水が湧いてきてそれを中和しなければならない。
それを行っているのが「旧松尾鉱山新中和処理施設」。
昔は、そのまま赤川に流れ込み下流で合流する北上川へと強酸性の水が流れていったそうで、
公害として大きな問題になったそう。
まっ、ここではあまり詳しくは書かないけど、、、
昔の繁栄によって生じた鉱毒の処理が終わるのはいつになるかわからないそう。

旧松尾鉱山新中和処理施設