「違う」ということ | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

日本では「違う」ということを
「いけないこと」と捉えている人が多いような気がするのですが、、、

皆さんはどうですか?

そして、「自分は普通」と思って生きている人も
多いような気がします。

皆さんはどうですか?

自分は普通で
「違うことはいけないこと」と思っていると、
自身の考え方や捉え方を
他者に押し付けてしまいますね。

そうすると、とても居心地の悪い
人間関係になっていくわけです。

日本では曖昧な表現をすることを美徳としますが、
この美徳が自閉スペクトラム症の人たちにとって
実に困ることであり、
彼らはストレートに言ってもらって
初めて理解できるといった脳の特徴があります。

しかし、曖昧な表現をすることを
美徳としている人たちにとっては
ストレートな表現が苦手なため、
自閉症の人たちに曖昧な表現を
要求してしまうことがあります。

これでは全く持って「インクルーシブ」な環境づくりは難しくなります。

やはり、考え方としては
「曖昧な表現をする人」もいれば
「ストレートにものをいう人」もいて、
どちらも間違いではないということです。

ただ、自閉症の人達にはストレートにものを言い、
平均的な人には曖昧な表現を使うように心がけていても
いろんな人達が集まっている中で
ストレートな言い方や曖昧な言い方を
同時に使うのは、なかなか難しいものがあります。

ですから、発達障害への理解が
進んでいない集団の中では、
必ずと言っていいほど「トラブル」や「葛藤」が起きます。

私は、発達障害への正しい認識普及活動中に
こういった状況に度々出くわすようになりました。

結論としては、誰もが発達障害について
正しく理解しておかなければ
心地よいコミュニケーションははかれないということです。

こういった現状がある中で
相互理解は実に難しいと思う今日今頃です。

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