文化の違いから学ぶ | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

もう30年くらい前の話ですが、、、笑
アメリカで暮らしていたとき、
何かと、アメリカ人って褒めてくれるな~と思っていました。

彼らは、国が違うことに関心を持ってくれたり、
文化の違いを受け入れてくれたり、
見た目の違いを褒めてくれたりするのですね。

それも、私という一人の人間に
興味を持ってくれるといった感じでした。

当時、髪の長かった私は
アメリカのどこへ行っても
「あなたの髪の色といい、ヘアスタイルといい、かっこいいわね~」と
よく言ってもらいました。

当時の私は若かったため、
栗色の髪に憧れていたので、
黒髪を褒められたときは、実に驚きました。

それでも、異国にいて、
ちょっぴり寂しい気持ちになっていたので
髪の毛を褒められただけでも、
何だか自分を認められたような気がして
うれしかったものです。

また、アメリカでは
道ですれ違う人々も
知らない人であっても
にっこり微笑んでくれるのです。

何とも、素敵な人々だな~と思った私は、
アメリカ人がするように、
道ですれ違った知らない人に
いつしか、にっこりほほ笑むことができるようになっていました。

そして、帰国後、
その習慣がすっかり身についてしまった私は
日本でも道ですれ違った人たちに
思わず、にっこり微笑んでしまいました。

その瞬間「しまった!」と思いましたが、
時はもうすでに遅し、、、
気持ち悪がられました(笑)

「さあ、次からは、知らない人には、にっこりしないようにしよう!」と思ったものの、
つい忘れて、またもや、にっこり。
今度は、男性から「気があるんだな!」と
勘違いされてしまいました(笑)

ここで、私は日本とアメリカの文化の
明らかな違いを思い知ったわけです。

日本ではあまり気持ちを表に出さないのがいい、
アメリカでは気持ちをしっかり表現して相手に伝えるのがいい、
という感じでしょうか?

とすると、自閉症の人たちはアメリカに住んだ方が
分かりやすいかもしれませんね。
臆せず、はっきり、ストレートにものを言ってくれるし、
表情も分かりやすいといったところでしょう。

そんなことはさておき、
日本の当たり前とアメリカの当たり前が違うように、
国内でも、一般的な発達をしている人と
発達障害のある人の文化もかなり違いますから、
こういった(勘違いされたり、誤解されたりする)状況は
かなりのものだろうと思うわけです。

これが、多様性を認められる社会では
勘違いではなく
「そういう人もいる」
「みんな違うし、自分が思っていることが当たり前ではない」
といった考えのもとで、
互いが、「こんなことを言ったら嫌われるだろうか?」等と思って
意見の違う人に合わせたり、
作り笑いをしたりしなくて済むのではないかな~と思うわけです。

「人に合わせた一般的な話ではなくて
あなたの話が聞きたいのです」と言える社会があると
みんながもっと楽に生きられるだろうと思う今日今頃です。

プロ陸上選手の為末大さんが同様に
「標準と配慮」と題して多様性が認められる社会とは
どんなものかについて書いていらっしゃいます。
参考になりますよ↓
TAMESUE「標準と配慮」
http://tamesue.jp/201505141/