不登校の子どもの心 | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

子どもが学校へ行こうが行くまいが
子どもはそのままで尊い存在です。

でも、子どもが学校へ行けなくなると
私達大人は、その子を「ダメな子」と
レッテルを貼ることがあります。

多くの不登校の子どもにとって
一番辛いのは学校に行けないことではなくて、
学校へ行けない自分をダメだと思うことなのです。

それに追い討ちをかけるように
周りの大人達は子どもを何とか学校へ行かせようとします。

そうすると、子どもはどんどん
「学校へ行けない自分はダメなんだ!」と
強く思い込むようになっていき、
何とかがんばろうとするのですが、
発達障害への正しい理解や配慮のない学校へは
行けるはずもなく、
子どもの自尊心はズタズタになっていきます。

そう、学校に行けなくなった子どもの心は
劣等感のかたまりになっているのです。

どうか、子ども達の心の声に耳をすましてください。

「がんばったんだけど、もう無理なんだ」

「お母さんやお父さん、先生達が何とか
僕(私)を学校へ行かせようと思っているのは
よく分かっているんだ。でも無理なんだ」

「なぜ、学校に行けないのかを
僕(私)はうまく言葉で伝えられないんだ」

彼らの声に耳を傾けると、、、
専門性のある支援員を学校へ派遣するか?
学校の先生達が専門性を身につけるか?
親が専門性を身につけて学校支援に入るか?
しか、今のところないように思います。

でも、これには時間がかかります。
発達障害を正しく理解して
サポートできるようになるまでには
数年かかるのです。

じゃ、すぐに何とかする方法はありませんか?という質問がきそうですね。
ありますよ!

子どもに「あたなはそのままでいい!
そのままですばらしい!」と伝えてやってください。

子どもは成績がよくて褒められてもちっともうれしくないんです。
かけっこが早くて褒められてもちっともうれしくないんです。
※うれしそうな顔をしているだけです。

本当にうれしいのは、学校に行けなくても
成績がよくなくても、かけっこが遅くても
「そのままでいい」といって
抱きしめてくれる人がそばにいることなのです。