茂木健一郎さんのFBシェア | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

茂木健一郎さんがインクルーシブ教育に必要な大切なことを書いていらしたのでシェアします。

そこから寛容が生まれる

人は、どうしたら、他人との違いに寛容になることができるのだろう。
現代の文明において、もっとも大切なものは「多様性」である。
自分と異なる価値観、感性をもった人がいることが、
許せないことではなくて、愉しいことだと思うためには、
どんなことが必要なのだろう。

世界が同じである必要はない。
もちろん、自分が大切だと思っているものを
相手がそう思わなかったり、
相手が大切だと思っているものが、
自分にとっては心を動かされなかったり、
そのようなことは、私たちの心を少し残念がらせるが、
同時に、それは、心愉しいことでもある。

この地上は、異なる意見の人が共存するくらいには、広いはずだ。
生態系の中には、さまざまなニッチがある。
自分が存在するニッチは、他人をおしのけてつくるものではない。
他人が、自分と全く異なる価値観を持っていたとしても、
それは、自分のニッチを脅かすわけではないのだ。

世の中には、異なる他者に対して寛容な人がいる。
一方、異なる他者に対して、不寛容な人がいる。
その差異は、どこから生じるのだろうか? 
何が、いちばんの分かれ道なのだろうか? 
ぼくは、寛容と不寛容の分岐点は、
自分に対する関心の向け方にあるように思う。

私たちはみな、たった一回の人生を生きている。
その中で、できるだけのことをしたいと思う。
しかし、そう簡単にはできない。できなどしない。
そんな中、自分の人生を精一杯生きようとしている人は、
自然と、他人との差異に対して寛容になるのではないか、
ぼくにはそう思えてならない。

簡単に言えば、温かい意味で、
「私は私」「他人は他人」なのである。
なにかやりたいことがあって、
自分の人生を精一杯生きており、
それでもなかなかうまく行かず、
それでもがんばっている人は、
正直に言って、温かい意味で、
他人の人生をとやかく言っている暇など、
ないのだから。

宗教であれ、ある思想であれ、
世界のすべてを覆い尽くすようなイデオロギーは、
時に、その信奉者自身が、自分自身のかけがえのない、
一回限りの人生から、目をそらさせる、
そんな作用があるように思う。
本当に大切なのは、
自分のささやかな人生に対する温かい関心なのに、
それを忘れてしまう。

他人との差異に対して不寛容な人に、
いちばん言ってあげるべきことは、
自分自身の人生に、温かい関心をもつべきだ、
ということなのではないだろうか。
地球は、異なる他人が共生できるほど大きい。
人生で一番大切なことは、
自分のささやかなニッチの中で、
ベストを尽くすこと。

そこから寛容が生まれる。