発達障害と医療と教育セミナー〜通常学級での理解と支援・しあわせクラスづくり〜 | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

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主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

今、先生達は通知表をつけなければならない時期で、時間に追われていらっしゃいます。
それなのに、私は本日「発達障害と医療と教育セミナー」を開催してしまいました。
しかしながら、多くの小学校の先生方や特別支援教育アシスタント、塾講師、言語聴覚士の先生方、保護者の方々がお集りくださいました。本当に感謝です。

本日の講師はお二人!
言語聴覚士の下妻玄典先生と、
小学校教諭で特別支援教育士スーパーバイザーの穐山和也先生です。

まず、下妻先生からは子どもの言葉の発達についてお話頂きました。
言語発達は4つの側面があるのだとか。
音韻論…音と音との記号的関係
意味論…物とことばの関係(なぞなぞ)
統語論…ことばとことばの関係(語のまとまり・文法規則)
語用論…人とことばの関係(動的なもの)

これら4つの側面はコミュニケーションの質的分析には有効なのだそうです。

私達大人は、子どもの発音や正確に話せるかを気にするけれど、
実際にはそれだけでは、コミュニケーションはうまくいかないことに気づきます。

例えば、ノートに字を書いていて、書き誤ってしまい、
筆箱を見ると消しゴムを忘れていることに気づきました。
そこで「太郎くん、消しゴム持ってる?」と聞きました。
太郎くんは「うん、持ってるよ」と答え、消しゴムを見せた後、
そのまま自分の筆箱に消しゴムをおさめてしまいました。

実は、「消しゴム持ってる?」という質問には
「消しゴム、貸してくれる?」という意味が含まれているのですが
言葉を言葉通り正確に受け取ってしまう発達障害の人達には
こういったことが起こることが多いのです。
そのため、コミュニケーションの行き違いが起きます。

この例から分かるように、私達大人は子ども達の言葉の発達を気にするものの、
こういったことには無頓着であると下妻先生がおっしゃっていました。
また、言葉は非言語に実はかなり依存していて、
表情や身振り、姿勢、語調、雰囲気などで理解しているのだとか。
ことばが6%、声などの周辺言語が32%、顔の表情60%だそうです。
この非言語の理解が難しい発達障害の人達は、
コミュニケーションの行き違いが起こるのも当たり前。
だから、私達は彼らの特性を理解して、丁寧に教えていくことが必要なのですね。

そして、もう1人のセミナー講師の穐山先生からは
通常学級における学級づくりについてお話頂きました。

まず、教師がしんどければ、子どももしんどいわけで、
子どもがしんどければ、保護者もしんどいのだと。

通常学級にはこんな子ども達がいるのだそうです。
①支援を必要としている子
②支援を必要としている子を理解して共感的に「やってもいいよ」と思える子
③支援を必要としている子へ嫉妬して「なんで◯◯君だけいいの?」
「僕もやりたいよ」と言う子
④「どっちでもいいよ」「関係ないよ」と思う子

通常学級で学級づくりが重要なわけは、
いろいろな状況はあるけれど、特別な教育的ニーズのある子どもには
支援をしなければならないということ。
教師の側も「あの子だけ特別には扱えない」という考えから、
「特別」が通用する学級へと、学級のあり方そのものを
変えなければならないということ。
学級のあり方についての視点を変えると、
周囲の子ども達も充実した学級生活が送れるということ。

そして、学級づくりのポイントとしては、
静かな教室をつくる。
落ちついて分かる授業をする。
友達と望ましい人間関係を育む。
自尊感情を高める。
この4つの数々の工夫の仕方や技術を今日は学びました。

最後に、穐山先生は、教師の中の発達障害っぽさについても
語っていらっしゃいました。
誰もが、自閉症スペクトラムや発達障害スペクトラムの中に
実は自分もいるんだという感覚が必要なのだとか。
教師が発達障害について学んだり語ったりするとき、
教師自身はその枠の外にいたりするけれど、
実は、自分もその枠の中に存在することに気づくと、
児童の理解や支援が飛躍的に楽になるときがあるのだそうです。
そうなると、人間にとって、発達障害っぽさは、
すべての人々に認められる個性のようなものに思えてくるはず!

お2人の先生方のお話を超~簡単にまとめてみました。
読者の皆さんの参考になれば幸いです。

穐山先生、下妻先生、ありがとうございました♡