西日本新聞の記事です。
年々増え続ける、対人関係の悩みを抱えた発達障害の大人たち-。九州大100年史編集室で働く小野保和さん(33)=福岡市東区=は大学生のときに発達障害の一つ、アスペルガー症候群と診断された。就職活動でつまずいたが、支援施設に相談し、現在の職を得た。「多くの支えがあったから」。働く喜びを感じている。
兆候は幼いころから。小さな物音が気になって仕方がなかった。小中学校の授業中は教師の声よりも、隣の教室から漏れる音に意識を奪われた。「変なやつだ」といじめられたこともあった。
高校を出て中央大に進学した後、就職活動で壁にぶつかった。ある企業の面接。「10年後の自分の姿」を尋ねられ、「分かりません」としか答えられなかった。相手が何を期待しているのかをくみ取るのは苦手だった。約30社の入社試験を受けたが、内定は一つももらえなかった。
母親の勧めで関東の発達障害者支援センターを訪ね、2004年に病院で「発達障害」の診断を受けた。音に過敏だったり、相手の意図をくみ取れなかったりするのは障害が原因だった。「困ってきた理由が少し分かった気がした」
北陸地方の大学院を修了し、09年から郷里の佐賀県に近い福岡市で職を探した。同市の支援センターに相談し10年6月、自らの特性を理解してくれる九大100年史編集室に就職が決まった。
大学の一室で資料のページをめくり、100年史編集に必要な情報をパソコンに打ち込む。作業中は小さい音が気にならないよう耳当てをする。同僚は小野さんに、口頭でなく紙に書いて仕事を頼む。一つの作業をしているときに別の指示が入ると、優先順位が付けられず混乱するからだ。小野さんは思う。「周囲の人が発達障害の特性を理解し、配慮してくれれば働ける」
2012/09/18付 西日本新聞朝刊