2,3日前になるが朝方、アジナーチャクラのスクリーンに幅5センチくらいの左右に真っ直ぐ延びる虹が現れた。

それぞれの色の帯の中には粒子の流れとともに黒っぽい紐状のものが螺旋を巻きながら延びていた。

この時、少し意識状態を変えてみるとそれぞれの虹の帯の周りにたくさんのドーナツ状の物体が現れた。この物体は粒子が靄状に集合したものでこれが虹の帯を軸として高速で回転していた。

 

このドーナツ状物体はチャクラの孔から延びるビームにも連なって存在している。ドーナツ状物体はプラーナの循環に関係していると思われるがその実態は不明である。
虹の帯を軸にして回転するドーナツ状物体は見えるだけでも何十個とあり視界の外にも同じように連なっているように思われた。


少し時間を置いてアジナーチャクラのスクリーンに再び螺旋状のチューブが現れた。今度はそこに虹の姿はなく完全なモノクロの世界であった。そこに透明の螺旋状のチューブだけが大きく映し出されていた。

チューブの中には幾つもの球体が毛細血管を流れる赤血球のようにチューブの内壁に当たりながら流れていた。球体は透明で内部には何もないように見えた。流れている球体はチューブの直径に近い大きさであった。

この球体が何であるか全くわからないが球体はいろいろなところで目にする。アジナーチャクラのスクリーンにも時々現れるし私がつくる粒子の渦巻の漏斗の中にもあった。

こうした映像を見た時、私は少し嬉しかった。先日、アジナーチャクラに光の言語(*1)が現れなくなったこと、ヴォルテックスを利用した異次元への旅がなくなったこと、映像や絵画の中に入る次元移動もなくなったことをお話しした。これらは私にとって娯楽のひとつであるとともに新たな発見を予感させるものであった。


最近はこれらのものが無くなり私の心は手持ち無沙汰状態にあった。そんなわけで今回、(未知の)映像が現れた時、嬉しさを感じたのである。

やはり何事も停滞は良くない。宇宙において停滞は死である。何であれ動きがあると心は弾む。特に変化や誕生、そして未知なるものの発見には心が躍る。未知なるものを求め常に変化を求めるのは魂の本質であろう。


だが実は停滞は“停滞”ではない。次なるステップへ向け準備をしている状態である。このことはこれまで幾度となく経験してきた。だからワクワクしながら変化の時を待てばよいのだ。
(*1)光の言語はアジナーチャクラのスクリーンに現れるヒエログリフ、ヘブライ文字などの文字、様々な幾何学図形や特殊図形、その他、絵画や映像などである。