これは夢の中で稀に体験することである。

回数は多くないがそれでも何度も体験している。

 

例えば私の目の前にレストランがあったとする。それを見た私に“ある思い”が湧いてくる。“その店は過去に訪れたことがある。”という記憶である。


私は夢の中の世界でこうした時間軸に関係する体験をすることがある。その時、私は懐かしいという思いがある一方で得体のしれない違和感に襲われる。

時間軸の存在しない世界で時間的な体験をしたからなのだろうか。理由はわからないが私はなぜか“過去に訪れた”という降って湧いたような記憶に対して違和感を感じてしまうのであった。

 

三次元的な思考で言えば店を見ている“今”と以前に訪れたという“過去”との間には“同じ店”という関係性があり両者は繋がっている。

だが四次元に居る私は両者の間には何の関係性もないことを知っている。なぜかそのように感じるのである。私の抱く感覚(意識と言ってもよい)には“今”と“過去の出来事と思うもの”の2つの点があるだけで両者を結ぶ線がないのである。これが違和感となって現れているようだった。


私は今、目の前にある世界を見て“過去の出来事”としてひとつのシーンを創り出したか、もしくは記憶の中の類似のシーンから引っ張り出してきたに違いない。そして両者を関係づけたのである。

 


こうしたことは三次元物質界においても起きているはずだ。この物質界では瞬間、瞬間で映画のコマのように場面が入れ替わっていると言われるが私もそのように思う。新たな場面を個人個人が瞬時に選択しているのである。三次元世界ではそれを時間軸で捉えるのでモノが時と共に変化していくように見える。だが本質的には同じモノが変化しているのではない。変化したと思うモノを選択しているのである。


この意味で言えば我われの誰もがこの物質界においても今という瞬間に生きている。だから物質界の常識にとらわれない全く新しい未来を創ることができる。