夜空を見上げるとそこには無限に広がる宇宙がある。我々の居る天の川銀河には恒星が2000億個、隣のアンドロメダ銀河には1兆個の恒星があるという。NASAによれば宇宙にはこのような銀河が2兆個あるらしい。
まさに宇宙には無限という言葉がふさわしい。

こうした宇宙は無限にあるという。それぞれの宇宙にはそれぞれの創造主が居る。創造主の数も無限なのである。そしてこれらの創造主の上には創造主の創造主たる究極の創造主が存在するという。この究極の創造主が次元を越えあらゆる宇宙の振動エネルギー場を創造しているという。


そうなのである。すべては振動なのである。振動が波動を生む。振動の違いが様々な世界をつくり出す。太陽光が波長によって様々な色に分かれるように意識にも様々な世界がある。意識を変えればこうした世界を体験できる。


自身の波動が上がり意識が拡大するとより大きな意識との合体も可能である。合体といってもそれは大きな意識に吸収されることではない。同調である。同調によって両者は一体化する(*1)。一体化によって何が起こるか? 今度は“私”が大きな意識となる。

あるレベルを超えると“個”という意味での“私”はなくなるがそれでも意識としての“私”は存在し続ける。それは究極的に神と合体しても同じである。その時は自らが神となるのである。


宇宙を創造する無数の創造主も我々も究極の創造主の意識から分離したもの。究極の創造主の意識が分離し分離した意識がさらに分離する。何世代後の意識であってもすべて元を辿れば究極の創造主に行きつく。

こうして分離した意識が様々な次元、世界を探索している。そしてすべてが究極の創造主の子どもだ。さらに言えば生命に限らず存在するものすべてがそうだ。だから同調して他の意識と一体化しても自らの意識がその主体となる。


次元を超越した世界を探索する方法は体外離脱ではない。体外離脱は過渡期の一時的な手段だ。本来の方法は自らの意識を分離させること。これによって簡単且つ合理的に次元を超越して様々な世界を探索できる。


我々は今、創造主と異なる振動(波動)状態を体験している。そこには善も悪もない。ただ未知を求めてその状態、その世界を探索している意識があるだけ。これが分離のゲームだ。だがそれは統合のゲームへと変わった。再び創造主の下へ帰還するのだ。アセンションはこのためのもの。一旦下げた振動数を再び上げるのだ。そのために自分は変わらなければならない。他人のお節介などしている余裕はない。もし他人を変えたいのなら、まず自分が変わること。自分が変わればすべてが変わる。自分が変わらなければ何も変わらない。すべてが「自分」から始まる。これが波動の世界の原則。


この世界は自分(意識)を変えること。これがすべて。そのために絶えず動き続ける。前に進み続ける。停滞は許されない。立ち留まりは眠りであり、動きを止めることは死である。だから常に新しい体験を求め前進する。そして得たものは放棄する。所有したものに執着などしてはいけない。すべてはギブアンドギブ。与えて与えて与え尽くす。執着などという言葉は本来、存在しない。我われは全能なのだから。

 

(*1)同調(一体化)はどちらかが消えてもう一方が存続する(生き残る)ということではない。両者が全く同じものになるということ。