先日、ユーチューブである高次の存在からのメッセージを観ていたら、今の私たちにとって本当に必要なものはシンプルな服装、栄養、水、それと住まいだけだと言っていた。それ以外のものはエゴを増長するだけだと。まさにその通りだと思った。私個人的には衣服と水と住まいだけでよい。栄養(食べ物)はあるに越したことはないがなくても構わない。

この世界は波動で成り立っているから波動のあり方、持ち方がとても重要になる。日々の生活をよくするのも悪くするのも波動だし死後の世界も波動で決まる。さらに転生後の人生にも影響を与える。

スピリチュアルな世界に生きているとよく感じることであるが、例えば自分自身、こうありたいと思うことがある。それはそれでよいのだがそのための意識の持ち方(波動のあり方)が実に難しい。
目標が目に見えるものであれば進捗状況を把握することができる。例えば何かのスキルを身に着けるという場合は上達している自分自身を都度確認することができる。一方で目標がスピリチュアルなもののように実体のないものの場合は進捗状況を確認しづらいとともに仮に自分が進歩していると思ったとしても100%の確信が持てるかというとなかなかそうはいかない。これが実体を持たない目標の難しいところだ。


引き寄せの法則は自分が目標を既に達成している状態の波動をつくらなければならない。ほんの少しの疑念もあってはだめだ。そもそもその目標が意識に残っているうちは達成はない。既に達成しているのであればそのことを意識することはない。なぜならその状態が当たり前だからである。


進捗状況が確認できるものであれば達成している状態の波動をつくる必要はない。その都度、上達している自分を知る(体験する)のだから波動をつくらずとも自ずとその波動になる。一方でスピリチュアルな目標は完全にその波動をつくり出さなければならない。それは目標のことが完全に意識から消えている状態である。だから難しい。

私はこの難しさを幾度となく実感させられた。波動のあり方(意識)がほんの少し違うだけで結果が大きく異なるのである。
私はしばしばパラレルワールドへ出かけて行く。あるパラレルワールドの私は病気や怪我を何の意識もせず瞬時に癒している。また別のパラレルワールドの私は病気や怪我を癒してはいるが私はそれを能力の一つとして認識している。そのため治療に当たって私は治すことを意識する。前者は病気や怪我が“治る”のは当たり前のことだから呼吸と同じように意識することはない。後者は“治る”ではなく“治す”だ。そこには私の治そうとする意志が働く。

両者の間には治癒効果に決定的な差があるのだ。前者は治せないものは存在しない。どんな病気や怪我も瞬時に且つ完璧に治る。だが後者は治せないものがあるほか、治るまで時間を要するものもある。理由は言うまでもなく私が治そうと意識しているからだ。

冒頭に述べた一切のエゴを無くしシンプルな服装、栄養、水、それと住まいだけで生活することも同じだ。これがあるべき姿だといっていきなり実践しようとしてもフラストレーションが溜まるだけだろう。無条件の愛や無条件の受容といったものもそうだ。


だからこそ“急がば回れ”だ。回るのであればフィジカルなスキル同様に進捗を視覚化、体験化できれば効果的である。こうすれば日々進歩している自分を実感できる。
例えば自身の波動を高めたいのであればプラーナ管集中法がお奨めだ。プラーナ管集中法というのはハトホルの書(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著/ナチュラルスピリット)が推奨するKa(*1)を増強させるための手法である。Kaが増強されれば高次の意識への移行がスムースである。Kaが発達すれば意識も必然的に大きく変わっていく。Kaの強化はスピリチュアルなものすべての礎になるはずだ。


プラーナ管集中法ほどの即効性はないが継続すれば確実に成果を実感できるのが瞑想である。これは何度も言っているが自己の内側に意識を向けることである。目に見えない世界を意識することは大切だ。自己の内側にこそ真実があり、目に見えるものがすべて幻想であることがわかるだろう。そして瞑想は自身の波動を高めることに直結している。


スピリチュアルな望みは波動が高くなればほとんど叶えられる。それは自然に備わるものである。だからほとんどの場合、望みがかなったことを認識することはない。ある日気が付いたら過去に望んだ状態を体現している自分がいる。
例えば目標にしていた状態に自分が“ついに辿り着いたぞ”と思ったとしたら、それはまだたどり着いていない。自分が本当にたどり着いていたらそうした達成感などは存在しない。

さて上述のプラーナ管集中法であるが私はこれを何年も続けている。その効果は絶大である。Kaとそのオーラを合わせたものをプラーナ体というが私のプラーナ体はプラーナ管集中法によってもはや計測不能の大きさに広がっている。プラーナ管集中法を始める前は1メートルほどであったが2年ほど前にクンダリニーの覚醒時にチャクラでたまたま見たプラーナ体は部屋中を覆っており少なくとも数メートルあった。部屋の外にも広がっていると思うので実際の大きさはわからない。現在はさらに大きくなっているだろう。イエス・キリストはプラーナ体が数キロメートルあったというし、さらに大きい人は数百キロメートルもあったという。


このプラーナ体は普段でも感じられるものである。感覚としては肉体の周りを密度の高い気体が取り巻いているように感じる。風が吹くと直接肌に当たるのではなく、モワッとした気体に押されるような感じで纏っている服を揺らされているようである。
プラーナ体をアストラル体レベルの手で触れると強力な磁石の同極同士が互いに反発し合うような感触がありこれがバリアとなってアストラル体では肉体に触れることができない。おそらくこれがバリアとなって悪意ある霊から守られている(*2)。
ちなみに20年数年前、私がまだクンダリニー覚醒も大周天にも至る前であるがこの時の私のプラーナ体は30センチ程度であった(これでも一般の人より大分大きかった)。覚醒後には50~60センチに拡大し、その後十数年で1メートルほどまで拡大したがプラーナ管集中法を始めてからは格段に拡大している。プラーナ管集中法を是非お試しあれ。

 

(*1)Kaは肉体に次ぐ二番面のエネルギー場でありプラーナで構成されている。エーテル体に近い概念である。

(*2)プラーナ体は強力なバリアであるが、それを意識から外すと肉体に難なく触れることができる。これはプラーナ体の波動と同調したからだろう。それと自身の波動が高ければそもそも悪霊は寄ってこれないということだ。