最近、渦巻の見え方が変わってきた。

渦巻というのは目を閉じた時に見えるプラーナ粒子のらせん状の流れである。プラーナ粒子の渦巻については目を閉じればほとんど意識せずとも目の前に現れる。うっとうしいので最近はわざと意識から外すようにしている。それでも朝、目覚めた直後など意識していない時には勝手に現れるのでそれとなく見ているのだが最近は渦巻を見ているとすぐに目の前の空間が立体構造に変化し、さらに視点も変化していろいろな角度から渦巻を見せてくれる。

 

渦巻を斜め上から見ていると周囲の空間が湾曲してリンゴを斜め上から見ているようにきれいなトーラス構造を見せ始める。その中心部の穴には何本ものプラーナ粒子の糸状の流れが帯状に連なって流れ込んでいる。かと思うと数秒後には外に向かって流れ出している。まさにプラーナを循環させる球状チャクラの姿である。この球状チャクラは発光するプラーナ粒子で満ちており、それ自体も回転するので宇宙を見ているようである。

それと粒子が流れ込む穴も以前に比べると格段に大きくなったように見える。穴が大きいということはそれだけ大量のプラーナを取り込めるということだろう。

 

さて、トーラス構造の穴へ流れ込む粒子の帯は見ていてとても美しいのだがこの時の私の視点は一体どこにあるのだろうか。これはずっと疑問のままである。
基本的に、アジナーチャクラでは見たいものは何でも見ることができる。見たいものに意識を向けさえすればよい。であれば目を閉じた時に現れるプラーナ粒子の渦巻は私がそれに意識を向けているからだ。数年前に初めて粒子の渦巻を見て以来、渦巻とその空間は次から次へと新たな形態を見せてくれたので私の潜在意識に刻まれているのだろう。


アジナーチャクラは上述の通りあらゆるものを視覚化し映像として見せてくれる。それも様々な角度で、大きさも宇宙レベルから素粒子レベルまで、障害物があってもそれを消して見せてくれる。そのほかアジナーチャクラは次元と次元とを結ぶポータルとしての機能も持っている。様々な映像を映し出しその世界へ入っていけるのである。
だが目を閉じて目の前に現れるプラーナ粒子の渦巻、空間を進んでそこに現れるトーラス構造のチャクラ、これらも視覚化されたイメージ映像なのだろうか。

私は目の前の空間を真っ直ぐに進んでいる。そしてその先に見えてくるのがトーラス構造の立体空間だ。それは私の目の前に存在しているとしか思えない。こうなると球状チャクラが私の体外にあることになってしまう。矛盾が生じてしまう。


ずっと私はこのように考えていたが、ひょっとしたら私は基本的な間違いを犯しているのかもしれない、と思った。そもそもモノの形状やサイズ、場所などを固定しようとする考え方が間違っている。そうした物理的な思考(三次元的思考)をしてはいけない。私の見ている世界には空間など存在しないのだから。