私は在職中から早く本格的に魂の修行を始めなくてはいけないとずっと思っていた。正確に言うと何かに背中を押されていた。だが、日々の生活に追われて定年まで時間がかかってしまった。退職後、私は焦っていた。時間がない。なぜそこまで急かされるのかわからなかった。私を急がせるものは何なのか。


退職して5年。気がつくとこれまでずっとあった急かされているという感覚が消えていた。ということは私は課題をすべてクリアしたということだろうか(*1)。ではその課題とは何だったのか。今ならはっきりわかる。それは三次元の垢を完全に落とすことだった。そしてその波動を共有することだった。私を急かしていたのは私のスピリットであった。差し迫ったアセンションに向け自身の役割を果たすよう眠っていた私の尻を叩いていたのだ。今の私の心は平穏そのものだ。急かすものは何もない。焦りもない。アセンションについても興味(執着というべきか)はなくなり、今は意識からも消えている。もはやそのことが当たり前のことになっている。おそらくこうしたことが理由だと思うが最近、顕著になってきたことがある。それはネガティブな波動に対する拒絶感だ。


私はテレビをほとんど観ないのだが映画(一部ドラマ)やネイチャー番組はよく観る(先日お話ししたグルメ番組もたまに観る)。一方で報道番組や情報番組は全く見ない。映画やネイチャー番組は大体、録画して時間が空いた時に観ている。だが最近、映画やドラマを一度にすべて観ることができなくなった。映画は1時間半から2時間、ドラマは50分程度だが終わりまで観れない。連続して観れるのは30分程度だ。それで何回かに分けて観ている。内容に興味がないわけではないのだが。おそらく私は日常、宇宙に向けて意識を開いている(というか常にそうした状態にある)。そのため映画を観ている間、開いている意識が閉じてしまうからだろう。


私は映画やドラマで相手を欺くシーンが耐えられない。親友がお互い考え方の違いで仲違いするシーンもきつい。それとつい先日あったのだが若い男女が初デートで映画に行く約束をした。ところが約束の日に男に急な仕事が入ってしまった。私は男が彼女に断りの連絡をするシーンが見れなかった。私はこうしたシーンを飛ばして観ている。最近、この傾向はどんどん強くなっている。ネガティブなものすべてそうかというと暴力や破壊、死といったものにこうした感覚はない。むしろ破壊のシーンには心躍るものがある。これは幼子が出来上がった積木を崩すのと同じ理屈だろうか。明確な理由はわからないが破壊や死は新たな創造の一過程であるからだろう。そもそもモノに執着するのはよくない。所有したら捨て去る。これが大切だ。強制的な破壊はこれを示唆しているのだと思う。
では暴力について何も感じないのは何故だろう。暴力の裏にあるのは怒りや憎しみだ。暴力シーンを演じる演者にこうした感情はない。それが波動として伝わるのは事実だ。また、涙が感情エネルギーを開放するように怒りや恨みといった感情を消すための行為が暴力だと言えるかもしれない。映画関連で言うと昔、イエス・キリストを題材にした映画を2,3本観たことがある。どれもキリストを演じる役者の放つ波動が凡人すぎてしらけてしまった記憶がある。キリストの波動を出せる役者などいないのだから仕方ないのだが波動に敏感な者にとっては重要な問題だった。

波動に敏感ということはその波動と同調していることを意味する。以前にも申し上げたが物質界を離れればコミュニケーションに言葉や文字は使わない。心の中で伝えたいことを思い描くだけだ。これで相手が誰であっても(宇宙人であっても)瞬時にしかも完璧に伝わる。心の中で言葉を選ぶ必要はない。ただ思うだけだ。伝えようと意識することもない。呼吸と同じでごく自然の行為として行われている。五次元以上の世界(一元性の世界)では純粋な存在になっているから感情体にも精神体にも汚れはない。


神の創造した世界はすべてが振動しておりこれが波動として伝わるようになっている(私は振動を起こすエネルギーが意識だと思っている)。だから純粋な世界においては同調によってコミュニケーションをする。意識に汚れ(隠し事や嘘)があると同調は不可能だ。コミュニケーションに限ったことではない。すべてのことが同調によって齎される。例えば美しいものに出逢った時に心の内から自然と湧き出る感動は自己がそのものと同調したからだし、特定の宗教、価値観を盲信した人が死後に信念体系領域(*2)に閉じ込められてしまうのも自己の信念がつくり出す想念とこの領域の波動とが同調したからだ。
同調はこの三次元物質界においても同じだ。いかに自身の波動(心)をピュアに保つか。つまり、エゴという垢を落とすかだ。そうすれば自身のアンテナは多くの情報を受信できるようになる。

最後にHSPについて語ってみたい。
何度かお話ししているが私は子供の頃からHSPであった。HSPとはHighly Sensitive Personの略だ。直訳すると「非常に敏感な人」となる。HSPは音やにおい、空気感などに対して異常なほどに敏感なために日常生活でストレスを感じてしまうのだが私に言わせればこれが普通だ。一般の人が鈍感なのである。さらに言えばこの私でさえまだ鈍感だ。本来我われが有する感覚はこんなものではない。最近私の感覚はどんどん敏感になってきている。今の私はHSPに悩んでいた頃の何倍も敏感だ。だがこれこそあるべき姿だ。HSPであることを誇りに思おう。
映画X-メン・シリーズのダーク・フェニックスに次のようなやりとりがある(X-メンを知らない方には申し訳ない)。
両親を亡くしたジーンがチャールズ(プロフェッサーX)に引き取られてプロフェッサーXが運営する「恵まれし子らの学園」に到着した時の会話である。
ジーン:I can’t stay here.
チャールズ:Okay, Why not ?
ジーン:It’s too nice. I break things.
チャールズ:If you break something, anything, I can fix it.
ジーン:You think you can fix me too.
チャールズ:No, because, You are not broken.
ジーンは思ったことすべてが現実化してしまうという能力を持っている。子供のジーンはその力をコントロールできず、すぐにモノを壊してしまっていた。彼女自身もそれを気にしており、それで彼女は“モノを壊してしまうからここには居られない”と告げる。チャールズが“壊したら私が直すから”というとジーンが“私のことも直せる?”と聞く。チャールズはこう答える。“直せないよ”“なぜなら君は壊れてなんかいないのだから”
これからはHSPの時代だ。

(*1)そういえば最近、夢も変化した。場面が次から次へと変わる、又は支離滅裂ということがほとんどなくなった。体外離脱同様にストーリーとして展開していく。だが一定のものに焦点が当たっているという夢の性質は備えている。夢はトラウマや感情の浄化であるから、これらが終了したということだろうか。
(*2)信念体系領域はロバート・A・モンロー氏が命名した地球の生命系に隣接して存在する領域(世界)であり死後に多くの人がここに住むことになる。共通の信念を持った人たちが共通の想念で作り出した世界であり信念に応じて無数に存在する。大勢の人の想念が作り出している世界なので、ほとんど現実世界と変わらないといわれている。