先日、「退職後の5年間を振り返る」という投稿をしたが文章を書きながらふと思い出したことがあった。

私の勤めていた会社では定年退職する1,2年前になると既に定年退職されたOBの方を迎えて退職後の過ごし方についての講義をしてもらっていた。その中であるOBが「毎日が日曜日のようなものなので最初のうちは楽しいが一か月もすると手持ち無沙汰になる。だから何かやることを見つけた方が良い。」と言っていた。このアドバイスだけはなぜか覚えている。


私たちは自分の内側に目(意識)を向ける習慣がない。常に外側の世界にのみ意識を向けてきた。会社員時代は人生の大部分が会社との付き合いだ。いざ会社を離れると何をしていいかわからなくなる。これも意識を外側にだけ向けてきた結果だ。だから自分は何者で、なぜここにいるのかなんて知る由もないし、自分の可能性にも制限を加えてきた。本当は無限の可能性があるのに。


私は運よくという表現が正しいかどうかは別にして何十年も前から自分自身の内側に意識を向けてきた。最初の頃は、瞑想が主体だったが最近は日常がそういうふうになっている。自分の内側に意識を向ければ新たな発見がたくさんある。身近なところにも心を感動させるものはいっぱいある。退職してわかったのは必要最低限のものが揃っていれば心豊かな暮らしができるということだ。余分なものがあることで見えるものも見えなくなる。外側ばかりに意識が向いていると常に不足感に襲われ満たされない気持ちに支配されることになる。だが求めても求めても永遠に充足されることはない。


内側に意識を向ければ本当に必要なものが見えてくる。モノがあることによって見えなかった美しさも感じることができる。何も持たずに自然の中へ出かけてみるとよい。何もかもが美しいことに気づく。その時、自分が今という瞬間を感じて生きていることを知る。私はモノ(物欲)には興味がないし他人がどう思うかも関心がない。自分の内側には無限の宇宙がある。いろいろな世界が広がっている。この三次元世界は幻想の世界である。内側の世界も外側の世界も同じ幻想である。

前回ご紹介した「宇宙への体外離脱」(ロザリンド・A・マクナイト著、太陽出版)によれば物質的な地球は感情的な浄化と成長のため、物質的な具現化が必要な魂たちのために、感情レベルで存在しているという。だから欲望、妬み、怒り、こうした感情を汚す行為はあるべき姿ではない。外側にばかり意識を向けているとこれらの否定的エネルギーから逃れられない。

感情的な浄化と成長を必要としない魂にとって地球は存在しない。その時に存在するのは全く新しい純粋な精神レベルの地球である。ここではすべての感情から汚れが取り除かれている。これこそアセンションした地球だ。