前回の最後に「遭遇するすべての出来事、出会いには意味がある。あれこれ思考せず、受け入れよ」と申し上げた。今日はその理由をお話しする。

 


まだ最近のことだがその言葉が突然、私の頭の中に入ってきた。そのことは私にとって当たり前のことであり何で今さらという思いがあったが、よくよく考えてみると私はまだそれを体得していなかった。完全には自分のものにできていなかった。そしてその言葉が私にやってきた本当の理由が別にあった。それが今回のテーマである。
そのことを体得していないと一見混乱したように見える今の世の中を平穏に乗り切れないのであった。


私にとってこの世界(三次元物質界)は夢の世界であった。私はここで夢を見ているのだった。つまり、三次元が崩壊し四次元との境がなくなってきているのである。


この世界に住んでいるとどうしてもいやな感情になることがある。自身の波動は常に上下しているから波動が下がった状態では様々な嫌な出会いがある。その出会いを避ける(意識する)と早い時は数時間後に全く同じ状況に遭遇する。遅くても翌日には遭遇する。これの連続だった。

最初、私は意識することによってそれが印象に残り、その偶然に何か特別な意味があるように感じるのだと思った。例えばよくゾロ目を目にすると言った類のことだ。

だが私の場合、それは確率論では考えられない確度でやってきた。

 

私は理解した。私は感情の開放をやっているのであった。つまり、夢を見ているのである。
夢ならば、それについてあれこれ思考してはいけない。無条件で受け入れてそのまま開放してやることだ。

実際これを実践すると同じ状況に遭遇することはなくなった。

私はこの場でいろいろなことを述べてきた。その多くは私の体験談である。相対(あいたい)ではなく文字を伝達手段にしているので私はいつもわかりやすい表現を用いようとした。文章も起承転結を意識した。

 


スピリチュアル的体験はその性質から文字で表現することが難しい。特に高次の体験は、この三次元物質界でそれを的確に表現する言葉がない。そして起承転結も無視する。物質界のように理路整然とはいかない。

「理路整然」、これこそ思考そのものである。
 

こうして私は思考した。どうしたら伝わるだろうかと。これがずっと私の中で大きな問題になっていた。今の私はすべてを自然の流れに委ねている。私から思考が消えつつある。だが私は思考している。消えつつある思考を無理やり維持させている。明らかな逆行である。


意識と思考は相容れない。意識が存在するのは「今、ここ」だ。五次元以上の世界にあるのは「今」という時だけだ。「今、ここ」でしか意識はその力を発揮しない。思考は意識を「今、ここ」から離れさせてしまう。


私は決めた。私は思考しない。私は感じたことだけを感じたまま文字にする。それが読み手の琴線に触れるかどうかはわからない。だがこれによって私の文字にパッションが宿る。それが誰か一人の琴線に触れれば私は十分である。


今日は一言だけ述べる。これは最近、私が強く感じていることである。


遭遇するすべての出来事、出会いには意味がある。あれこれ思考せず、受け入れよ。

我われは意識である。意識こそが本来の自分である。


意識は認識である。ただ認識するのみ。
 

意識は観察である。ただ観察するのみ。
 

 

体験は意識の動きである。
 

体験は喜びであり、意識の表現である。
 

 

意識を動かすのは好奇心である。
 

意識は好奇心によって自己を表現する。
 

 

意識は振動している。
 

意識は振動を変え他のものと同調し自らの意識を表現する。これが体験として認識される。
 

 

意識はエネルギーである。
 

意識はホログラムを形成し意識はそれを体験する。
 

 

意識は分化によって他の意識を体験する。
 

意識は一つである。すべての意識は繋がっている。
 

 

意識は完璧である。だから意識は美しい。

 

私は完璧である。だから私は私を愛する。

昨夜、眠っている時、身体を何かの力で押さえつけられた。昔、よく経験した金縛りの前兆のように感じた。

一瞬、身構えたが全身から力を抜いて自然の流れに身を委ねた。

この状態は何者かが私に対して何かをしようとしていることを示していたが今の私に直接、行動を起こせるのは高次の存在しかいない。私は確信して全身から力を抜いた。

 

するとすぐに誰かが後ろから私の身体を抱え込み、私を肉体から連れ出した。私は後ろ向きの状態で暗闇の中を浮遊状態で移動した。

 

一緒に移動していると会話せずとも相手のことが自然とわかるが今回は全く分からなかった。これは私が相手を意識していなかったからかもしれないが会話もなく性別も年恰好も不明であった(高次の存在には性別がないことが多い)。


しばらく進むと周囲が明るくなってきた。私は今の自分がどんな身体なのか知りたくて手を顔の前に持ってきた。

私の手は無色透明のクリスタルでできていた。私は掌側を見ていたがうっすらとピンクがかった透明の爪がそれぞれの指の頭から5ミリほど出ているのが見えた。何と美しいのだろうと感嘆していると目的地に到着した。

 

私の目の前には大小様々なクリスタル(水晶)が大量にあった。そのクリスタルの集合体は淡いピンク色の光を放っていた。移動中、周囲が明るくなったのはクリスタルが放つ光によるものだった。

私の正面にはジオード(geode)のような穴があった。私は導かれるようにその中へ入った。私は周囲をクリスタルで囲まれた。すると私の身体全体がエネルギーで満たされた。私の身体が内部から調整されているのがわかった。

 

しばらくして調整が終わると私は引き返さず穴を先に進んだ。この時、気づいたがジオードの中は水で満たされていた。自分が水の中にいる事を意識した途端、息苦しくなったが呼吸から意識を外すと息苦しさは消えた(これは離脱中によく経験することである)。

ジオードはすぐ行き止まりになっていたがそこを通り抜けると一人の男性が歩いている姿が見えた。私が近づこうとした時、肉体に戻らされた。


身体のエネルギー的調整をする時、外部から大きなエネルギーが身体の中に入ってくる場合と今回のように誰かに導かれる場合がある。前者は突然、体内に流入してくるので思考の働く余地はないが後者のケースでは多くの場合、金縛りの前兆に似た状態になる。この時、恐怖を抱くと先へ進めない。自分を信じることが大切である。

最近、壁(*1)が変わった。

第一印象でそう感じた。3月下旬のことであった。このころから地球を取り巻くエネルギーが変わったようだ。

 

私は毎日、壁を目にする。だが目の前にある壁はこれまでのものとは別物である。

最初は“きれいな壁がある” それだけだった。

だが次の日も、その次の日も同じだった。

それだけではなかった。壁が映し出す映像も以前とは全く違っていた。壁自体が変わったのか、それとも環境が変わったのか、それはわからない。だがこれによって高次からやってくる情報の解像度が格段に上がった。

 

この壁を最初に見た時、壁と私の視点との距離感がはっきりと確認できた。これまでは全く分からなかった。壁もクリアで細部まではっきりと確認できる。それだけではない。見るものすべてがクリアになった。粒子がつくる渦巻もそこに映し出される映像も以前とは雲泥の差である。テレビ放送が始まったころの低画質のモノクロ映像からいきなりフルカラー4K画質に変ったようなショックがあった。しかも完全な立体映像である。映像を映し出す空間も目の前で広大な空間を形成しているのがわかる。この空間の中で緻密で美しい立体映像(ホログラム)を360度の視点で観察できるのである。

 


映像空間が変わったことを明確に知ったのは4月1日であった。この日、私の前に現れたのはこれまで見たことのない美しく鮮明なターコイズブルーの渦巻であった。

それは第11チャクラからやってきたものだ。あまりの美しさに私は我を忘れ、ただ見惚れているだけだった。
この日以来、映し出される映像は明らかに違った。何もかもが美しく鮮明でしかもそれが立体空間の中で角度を変えて展開されるのだ。

これから私に何を体験させてくれるのだろう。


(*1) 四次元と五次元とを隔てている壁である。この壁は朝、目覚めた時、私が最初に目にするものである。