よちよち歩きの赤ちゃんのとき、転んでも転んでも
あんなにひたむきに起き上がって
転ぶことも恐れずに前をめざしていたのに
あの勇気と熱意と好奇心
いくつで失うのだろう?
うちの子供は、学童にどうも行きたがらない
お友達と一緒に好きな本を読んでいたというのに、
“友達がいない みんなの仲間に入れない”と、弱音を吐く
正論で答えると“友達と本読んだのなら、それって仲間やん”とか、
“自分から、仲間に入れて^^ て、入ったらいいんじゃないの?”
になる
そんなこと息子もよくわかっているわけで、
けれど自分からなんて声かけれない
声かけて、無視されたらもっと悲しい
ってことなのかな?
指導員さんも息子が“頭痛いと言ってる”と何度も電話してこられる
熱測っても、平熱。。。 だそうで
“・・・精神的なものではないですか?”とわたしが尋ねると
“おそらくそうかと。。。^^;”
寝るときにいろいろ言い分を話してもらった
行きたくない1番の理由は、
“学童に行かないで、家に居られるお友達はずるい”
(=自分もそういう立場でありたい)
それを実現したいためにあれこれと理由をつける
“○○くんがコワイから”とか。。。
で、色々吐いてもらってから、
息子に語りかける“みんな、あなたのこと大好きだから
ママもあなたのこと大好きだから 大丈夫”
泣きながら首を横に振り続ける息子
(みんなボクのこと好きじゃない ママだって。。。 涙)
わたしは手を握りしめ繰り返す
“みんなあなたのこと大好き、ママもあなたが大好き”
涙を流しながら眠ってしまいました
(こうやって、気持ちを吐きだせると案外翌朝ケロッとしていることもw)
いつからなんだろう?
あんなにひたむきに起き上がっていた子が、
いくつかの失意を経験して、それに捉われるようになってしまったのは
彼は毎日どんな経験をしているのだろう?
周りの大人たちが気づきもしない?、どんな経験?
何事も経験しながら、乗り越えていくのだけれど
第1に、乗り越えたいという気力=意欲 は、やっぱり脳伝達のところ、
得意な人とそうでない人がいる
(伝達物質の問題)
わたしの意欲、分けてあげたいよ
それを、社会全体で理解できたら
今辛い気持ちの人も
その気持ちが理解してあげられない人も
みんながもっと過ごしやすく温かくなれるだろうなぁ