バトンは渡すのではなく、受け取ってもらえ | 【インバスケット】鳥原隆志 公式ブログ

バトンは渡すのではなく、受け取ってもらえ

おはようございます。

 

インバスケット研究所の

鳥原隆志です。

 

ああ、4月ももうすぐ

折り返し地点です。

 

今月末締め切りの原稿を

2本持ったまま折り返し。

 

ふふ、面白くなってきた。

 

さて今日は

「バトン」

です。

 

ある書物で様々な方の

辞世の句を目にする機会が

ありました。

 

辞世の句とは一生を終える際に

俳句などに書き残すものです。

 

 

暗く悲しいものばかりだと思いましたが

あながちそうではないな、と感じました。

 

例えば「東海道中膝栗毛」

を作った十返舎一九の辞世の句は

 

『この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら』

 

です。

面白おかしく、そして上手に掛け合わせて

1つの作品です。

 

ただご本人からすると

おもしろく書いたわけではないでしょう。

 

自分の一生を振り返り

そして何を残すのかを考えた

辞世の句なわけです。

 

吉田松陰さんの辞世の句は

 

『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂』

 

です。

 

この句からは身体は朽ち果てても

魂を残していく、つまり受け継いでほしいと

いう感情が強くあったのではと感じました。

 

人間の一生は限りがあるものです。

だからこそ、誰かに何かを残したい

と思う気持ちが生まれるのでしょう。

 

私たちは先人からバトンを頂き

そして後進にバトンを渡す・・・

 

いや

 

バトンを受け取ってもらうように

しなければならないですね。