48 困ったときは | LOVE1000句

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37歳のリアルな妊娠生活。勝手に大好きなひすいさんLOVE1000プロジェクトにひっそりと便乗?!させていただきました。

48 「困ったときはお互い様」 その言葉に背中凍りつく


私は典型的日本のサラリーマン団地都会暮らし核家族な環境で育ちました。祖父母の顔は両手ぐらいの回数しか見たことがありません。で、現在暮らしている田舎敷地内同居という環境は、当然私の育ってきた環境での常識(当たり前と思っていること)とは全く違うわけで、私には未だにその前提が生理的に受け付けられないことも多いのです。

その考えは違うのでは、とか、それって結果的には人に気を遣っていないのでは、とか思うわけです。もちろん口には出しませんし、出せませんが。例えば、頂き物はいらないものでもとりあえずいただくというしきたり?には未だに疑問符です。最初は分からず、おそらく使わないと思うので、使う方に差し上げてくださいと言っていたのですが、それは違う、あげる人の気持ちを踏みにじっていると言われ、それを結果的に捨てるという行為はどうなん?というと(疑問をぶつけた相手は夫ですが)、それはOKだと言われ、何だか腑に落ちないまま、仕方がないので従っていますが、私のなかでは変わらずおかしいと思っています。モノが大きいと捨てるのも目立つ(特に燃えないもの)からいらないものでも捨てられないもの多々ありでストレスです。義母が誰かから頂き物した後で「うわまたこれ・・・(いらない)」みたいな感じなのを見るにつけ、田舎独特の人づきあいの不自然さが拭えません。

いらないものなのに、「それいいわね」なんて平気で言えるのが信じられません。

だから田舎の人(田舎の人皆が皆でないし個人の性格と住環境によるところも大きいですが)は何でももらっとこう精神で、いらないものも溜め込んで、何年も使わないのにもったいないと言って、、、(以下振り出しに戻る)、そのライフスタイルこそ勿体ないし、イライラします。私はそういう姿勢はあさましいと教えられたのと、モノを溜め込むのが基本嫌いなので受け入れられません。

で、「困ったときはお互い様」ですが、「私は今あなたに恩を売っているから、私に何かあったら面倒みるのは当然よ」みたいな威圧感を感じて、背筋凍りました。自分がしてきたことは、自分もしてもらえて当たり前(義母は義父両親の介護を6年近くしている)で、同居というスタイルは結局老後の介護を期待している以外の何者でもないのは分かりますが(金銭的援助は直接的にはないですが、会社経費で間接的に恩恵は受けているため強気に出れないのもつらい、でもその分稼いでるという自負はありますが)、それをあからさまに言うのってどうなの、と。で、健康に気を遣ったり、努力している風があればまだいいのですが、あちこちガタがきているっぽいのに、解決しようとしている姿勢が全くみえないのが、個人的に腹が立って仕方がない。自分の両親が30代後半から老後を見据えて色々考えて生活していたのを知っているだけに余計に。。。結果どうしようもなくなってしまうのは仕方がないことだけど、それまでの過程が重要だと思うのです。老後とは自分たちの預貯金だけの問題ではないのよと。第一に健康じゃないのかと。毎日年とっているのにそれに対する対策をしないでどうすると。仕事がらみでも段取りのあまりの悪さに腹立っているので、それとこれとは別問題とは思っても腹立ち度倍増です。

人間見返りを求めるものですが、もっと他人への気遣いがあってもいいのでは、と思ってしまうのは、私が甘ちゃんなのかもしれません。まぁ他人への気遣いの基準がそもそも違っているのでしょうが、郷に入れば郷に従えなのか。。。自分の人生計画しっかり立てないと自分の意に反した人生を送るはめになる。それだけは絶対に嫌だ、という思いが生きるモチベーションになりつつある今日この頃。