僕ががんだって? | 胃がんで胃の全摘をしたが、すっかり元気を取り戻し、再発防止をして「がんとは縁を切れる」と感じるようになった8つの方法

胃がんで胃の全摘をしたが、すっかり元気を取り戻し、再発防止をして「がんとは縁を切れる」と感じるようになった8つの方法

胃がんのため、2年半前に胃の全摘だけでなくリンパ節、胆嚢、脾臓もなくしてしまいましたが、今では再発防止に取り組み、ひょっとして100歳までいくのかと考えています。 こうなるまでのコツをお教えします。

 「にがんのような腫瘍があるので、至急病院で

検査をしてください」 



ときどき食べた物が胸につかえるので

お茶を飲んでつかえをなくしていたので、

何だろうと思ってクリニックで内視鏡検査を

受けた結果です。



この結果を耳にした時は、足が地につかなくなって


考えがまとまりません。


病院は家の近くにしようと思います、と答えたら、

「田舎の病院では実績が分からないから

都会(大阪)の病院を勧めます」 とのこと。



大阪のどこの病院がいいか全く分からないまま

クリニックの先生が進める北野病院に

紹介状を書いてもらうことになった。



この先どうなるんだろう????



2日後には病院の外来に来ることになった。



担当は消化器内科で担当医は40歳前のようだ。


ひととおりクリニックの結果を見て、すぐにCTと血液検査をおこなう。

一週間後には超音波内視鏡でがんの深達度を調べるとのこと。




じたばたしてもしょうがない。 まな板の上の鯉とは

このことだ。



内視鏡なんていやでしょうがないけれども、

今回は麻酔があるから苦しまずに済みそうだ。



症状が軽ければいいのに・・・



内視鏡の一週間後に結果を聞きに行くと、

「胃の入り口近くのがんで食道と胃の切除手術を

勧める」とのこと。



ガーン !!!



「進行が速いから次の検査が早急に必要です。」


ということでバリウム造影やPET検査に進む。



次の外来では消化器外科に変えられた。


こうなったら内視鏡手術ではなく、開腹手術か



でも消化器外科の医者はすごく切れそうで

てきぱきと仕事をしているし、指示が適格だ。

この人なら任せられる。



外科の医師に対する第一印象が、その後の

進路を決めた。



検査だけに1カ月以上かかって、治療が始まらない。

早くしないと、がんが大きくなってしまうのに。。。



やっと出た治療方針は、まず抗がん剤を2クールして

その後胃、リンパ節、胆嚢、脾臓を摘出するとのこと。

さらに腹膜への転移を調べるために、腹腔鏡で事前に

周囲を調べることになった。



懇意にしている人からセカンドオピニオンをとったらという

話が出て、一応東京の医者に調べてもらったが、

結果は同じであてが外れた。



でも使われる資料は同じだから、結果が同じになるのは

当然かも知れません。



「手術は東京の病院の方がいいですよ。」と勧める人がいたが、

関西からわざわざ東京に移ることは気が進まないので

断る理由に困っていた。



断る理由があった。

主治医が優秀そうで、信頼がおけるという判断だ。


これで手術する病院、主治医が決まった。



ところで治療を受ける前に治療に耐えられる体に

しておかなくては、がんで死なずに治療で死ぬってことに

なりかねません。



がんと分かってからは、かねてから取り組んでいた

栄養医学の方法でありとあらゆる栄養素を

サプリで飲んで、それでも足らないビタミンCは

注射で補給し続けていた



お金がかかったけれども、妻は遠慮なく支出してくれた。

ありがたい。 



おかげで病院では抗がん剤の副作用による食欲不振や

下痢に悩まされずに済んだ。

白血球数の減り方も少なく、順調に治療に

耐えられる体になった。



手術前には病院から外泊許可を得て、最後のテニスに

うつつをぬかすこともできた。



手術は7時間かかったそうだが、私には分からない。

麻酔で意識がなかったから。


集中治療室で目を覚ましたが、気持ちがいいという

わけではなかった。 何しろ体にいっぱい管がついていて

身動きもままならない。



聞こえる音も検査器から出る音で、異常だ。



早く自由の身になりたい。


やがて個室に移るが、やはり管がいっぱいで

トイレに行くのが大変。



ときどき看護師が体を拭いてくれるのが

すごくありがたかった。

特に北野病院は美人の看護師ばかりで


とても幸せな気分になれた。



どうしてこんなに美人ばかり揃えているのか

理由がわからない。

でもこの病院にしてよかった。

感謝・感激!!!



病気で見る目がなくなったのかと思ったが、

事務員には美人はいないので、私の目が

おかしくなったわけではない。



でも寝たきり病人の状態では、看護師と大した話が

できるわけがない。

とにかく一本でも多く管を抜きたいというのが

この時の願望です。



個室から見る外の光景は、長時間眺めていると

飽きてしまい、することがない。

ぼっと一日何もせずに過ごしているだけだ。



手術から5日後に4人部屋に移動。


7日後には、点滴がなくなり、8日後には

すべての管が抜かれてやっと自由の身になれた。


あとは回復するだけ



と思っていたら、嘔吐がひどく腸閉塞

いうことが分かった。


悪夢が始まった。


再手術かイレウスチューブか?



レントゲン、CT検査の結果イレウスチューブになったが、

これは鼻から管を小腸の詰まっているところまで

とおして、じっと治るのを待つだけという代物。



喉に傷がつくので、痛くてしゃべるのがつらい。

つばを飲み込むのもつらい。

何日これが続くのか、先が見えない。


4日後ようやくチューブが抜けた。

つらい4日間だった。



腸閉塞は本当につらい病気だ。

なにしろ薬がなく、手術かチューブしかないんだから。



やっと少しづつ食事が始まったが、嘔吐がひどく

何も口に入らない。

これじゃ体重が減る一方だ。



シャワーを浴びてもいいということになり、

久しぶりにシャワーに入ったが、鏡に映った姿は

誰か?と思わず後ろを振り返ってしまった。



ガリガリだ。 手術前は筋肉質で逆三角形だったのに

今じゃ腹に縦線が入って、ひょろひょろじゃないか。



なさけない体になってしまった。

これじゃ幽霊と変わらない。



これからずっと幽霊なのかと不安がよぎる。



さて食事は少しずつだけれども、食べられるようになり

退院の予定の話が出てきて、1月ぶりに自宅に帰れるのか

と希望が出てきた。



主治医から摘出した臓器の病理検査の結果を聞くことになった。



「胃やリンパ節には線維化があるが、がん細胞は見当たらなかった

化学療法の治療効果はグレード3でした。 普通はグレード0か1で

どこかにがん細胞が残っているはず。 今回の例は病院では

始めてのケースで、早速学会でも報告しました。」



やった!!

これは栄養療法のおかげだ。

医者は抗がん剤の成果と思っているが、栄養療法のせいに違いない。



何しろ医者には栄養療法のことは言ってないんだから。



こうして気持ちよく退院することになった。

あとは家でどうやって食事をとるかということに

注意するだけです。



ちゃんと食べられますように 。。。。